インヴァネス(inverness)

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探偵外套

インヴァネスはケープ付き、袖無しのコートのことである。ケープ自体が袖の代りとなるもの、とでも言えば良いだろうか。
いっそ、シャーロック・ホームズご愛用のコート、と言ったほうがはやいかも知れない。
初期には「インヴァネス・ケープ」とも呼ばれたようだが、今ではふつう「インヴァネス」だけで充分通じるものである。

「インヴァネスとはオーヴァーコートの代りに、背丈くらいのケープを付けた外とうをさし、背中を箱型に裁つのが基本型で、えりはヘチマカラー、ステンカラーなどが多い。」

丹野 郁編『総合服飾事典』には、そのように説明されている。
インヴァネスが、英国、ロンドンで話題になりはじめるのは、1859年頃のことである。

「今、インヴァネスが流行になっているのだが、それは紳士階級の着るものではない。」

1859年『ザ・ジェントルマンズ・ヘラルド・オブ・ファッション』誌には、そのように述べられている。
インヴァネスがスコットランドの地名から来ていることは、言うまでもない。有名なネス湖にも近い。「インヴァ」はゲール語で、「口」の意味。
もともとケープ付きのコートは、土着的な作業用外套であったものと思われる。それがやがて、旅行用コートとして使われるようになる。
このスコットランドでの旅行用外套がその後、イングランドでも用いられるようになったのだ。

「インヴァネスは、ケープ・パルトーに対する、新しい名称である。」

『英国服飾事典』では、このように説明している。「パルトー」 paltot はフランスで、「短い外套」を指す言葉。フランスでのパルトーは古い言葉で、1370年頃から使われているとのこと。つまりインヴァネスの前には、「ケープ・パルトー」の名称があったものと思われる。

「すでに二着のインヴァネス・ケープが発見されていた。」

1865年『モーニング・スター』紙5月8日付の記事の一文。ここから想像するに、紳士階級であったか否かはさておき、1860年代の英国では、「インヴァネス・ケープ」がやや一般的なものとなっていたのであろう。
1869年『ザ・テイラー&カッター』誌 12月号にも、インヴァネスが紹介されている。それは詰襟式のデザインで、カラーのところには黒いヴェルヴェットがあしらわれている。
すでにふれたように、はじめは作業用であり、旅行用であったインヴァネスが、時代とともに変化して、観劇用などにも着られるようになってゆくわけだ。

「彼の身体の大部分は、厚手のインヴァネス・ケープで包まれていた。」

『馬車での二日間」 (1885年 ) に出てくる一行。「厚手の」とは、いったいどのような生地であったのか。
そもそもスコットランドでのインヴァネスは、トゥードで仕立てられていたという。これは当然のことであろう。スコットランドの生地。スコットランドのスタイル。それが、インヴァネスであるのだから。
初期のインヴァネスは、ごく単純にコートの上にケープを重ねてはじまっている。それが1880年代になって、袖が省略されるようになる。ケープが袖の役目も果たしてくれたからである。
1890年代には、「アーム・レスト」が生まれる。アーム・レストとは、ケープ裏の深い刳りのことである。つまりコートとケープがかなり特殊な形で、一体化したわけである。

「風衣 ( とんび ) を着て中宙を彷徨……」

仮名垣魯文著『西洋道中膝栗毛』の一文。「風衣」と書いて、「とんび」のルビがふってある。これは「仕て見たき事」のひとつとしてあげられているのだが。要するに、とんびを着て宇宙を歩いてみたいということなのであろう。
とんびは、幕末から明治のはじめ、インヴァネスを見た日本人が名づけた名称である。また、二重廻しとも。インヴァネスには袖がないので、着物の上に羽織ることができた。
一節に、着物の上に羽織った場合、「とんび」、「二重廻し」。一方、西洋服の上に重ねると、「インヴァネス」と呼んだとも。

「清に一寸上の坂井迄行つてくるからと告げて、不断着の上へ袂の出る短いインヴァネスを纏つて表へ出た。」

夏目漱石著『門』 『 明治四十三年 ) にも、インヴァネスが出てくる。

「二重廻しの袖の下小登美の小さい身体を抱くやうに庇って……」

永井荷風著『見果てぬ夢』 ( 明治四十三年 ) の一文。
インヴァネスにも、様ざまな使い方があるようだ。

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