芥川と麦藁帽

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芥川で、作家で、といえば芥川龍之介でしょうね。
芥川龍之介は夏目漱石の後輩で、師とも仰いでいたようです。その芥川龍之介が、夏目漱石を語ったことがあります。
それは昭和二年のこと。芥川が世を去る少し前のことになります。青森市での、講演会で。もっともその記録は『夏目先生』として、記録にとどめられているのですが。その中の話をかいつまんでみると。
ある時、アメリカ人の愛読者が来日の際、夏目漱石に面会を求めてきた。英文で、手紙が。それに対して、漱石は英文で、やんわりとおことわりの文章を認めた。そのことについて、芥川は漱石に訊いた。「どうしてお断りになったのですか?」それに対する漱石の答え。
「もし、アメリカ人が、この書斎にやって来たとすれば、日本国の恥になる。それでお断りしたのだ」と。
「この書斎」で、毎週、木曜の夜に開かれていたのが、「木曜会」であるのは、よく知られていることでしょう。漱石は昼間、ここで小説を書き、夜は後輩、仲間たちと会っていたわけですね。
『三四郎』、『それから』、『門』が連作三部作であるのは、言うまでもないでしょう。あたりまえですが、今は懐かしい明治語がたくさん出てきます。「唐物屋」とか、「勸工場」とか。「唐物屋」は今の洋品店のこと。「勸工場」は、今のデパートに似たものですよね。それから『それから』の中に。

「寺尾は麥藁帽で、しきりに胸のあたりへ風を送つた。」

麦藁帽は今も充分現役です。
麦藁帽を被って、芥川の本を探しに行くとしましょうか。

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