珈琲は美味しいものですね。
珈琲がお好きだったひとりに、古波蔵保好 がいます。戦後間もなくから、新宿に「青蛾」という喫茶店があって。「青蛾」では美味い珈琲を飲ませるというので、古波蔵保好も足繁く通ったという。「青蛾」の主は、五味敏郞。もともとは画家志望。独特の「青蛾」の書き文字をはじめ、すべて五味敏郞の趣味で統一した喫茶店。「青蛾」には五味敏郞の好きな、竹久夢二の絵が飾られていたものです。「青蛾」は、青蛾の珈琲は、今となっては伝説の味なのでしょう。
「わたしがこどものころ、『コーヒ』と呼ばれる高価な菓子があった。」
古波蔵保好は「序によせて」と題して、そんなふうに書いています。奥山儀八郎著『珈琲遍歴』の中に。
古波蔵保好が「こどものころ」というのですから、大正時代のはじめでしょうか。「コーヒ」とは何か。それは丸い砂糖の塊だったのです。たしか「コーヒー糖」の名前でも呼ばれたみたいですが。
砂糖の塊なんですが、中にコーヒーの粉が入っている。甘いような、苦いような。でも、それは「菓子」だったのです。が、時と場合によってはこの「コーヒ」をコップに入れて、上から湯を注ぐこともあった。まあ、今のインスタントコーヒーもどきでもあったものと思われます。
インスタントコーヒーのひとつの歴史として。アメリカ、NY州ブルックリンの、ジョージ・コンスタント・ルイス・ワシントンが考案したとの説があります。
ワシントンはいつも銀のポットでコーヒーを飲んでいた。ある日、ポットの注ぎ口にコーヒーの粉末が。この粉末をもとに研究して、インスタントコーヒーを発明したという。1909年のことです。
1909年に、トーマス・マンが発表したのが、『大公殿下』が。この中に。
「燕尾服の上に、まるで仮装服みたいに麻の上っ張りを着こんでいて……」
これはドクトル・ザメトの着こなし。うーん。麻の上っ張り。そんなのがあればいいですね。
さて、なにか麻の上っ張りで。美味しい珈琲を飲みに行きたいものですね。