子規とトゥイード

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子規で、俳人でといえば、正岡子規ですよね。正岡子規の句でよく知られているものとしては。

柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

というのがあります。晩年の正岡子規に会ったひとりに、寺田寅彦がいます。明治三十二年の九月のことです。寺田寅彦はどうして子規に会うことができたのか。夏目漱石の紹介だったから。子規は病に伏せっていたのです。
寺田寅彦は明治三十二年に、熊本五高を卒業。熊本五高で、漱石の生徒だったのが、寅彦。寅彦は今の東大に入学。物理学科。
明治三十二年に東京に出て、子規を訪ねています。根岸の自宅に。上根岸八十二番地の根岸家を。この時、子規は同級生の漱石の若い頃の話を、寅彦にしたという。それによると、学生の頃の漱石は、いたって物静かな生徒だったそうですね。
話の途中で、茶が出た。それは当時貴重品だった、珈琲であったと、寅彦は書いています。後に寺田寅彦は、『コーヒー哲学序説』の名随筆を書いています。よくよく珈琲とは縁の深いお方だったのでしょうね。
寅彦はもちろん漱石から俳句の手ほどきを受けてもいます。寅彦は漱石に訊いた。「俳句とは何ですか?」。これに対する漱石の答え。
「レトリックを煎じつめたもの。」
では、漱石にお伺いしてみたい。「小説とは何ですか?」
夏目漱石に『吾輩は猫である』があるのは、いうまでもないでしょう。この中に。

「英國仕立てのトヰードを着て、派手な襟飾りをして、胸に金鎖りさへピカつかせて居る體裁………。」

これは「鈴木君」の着こなし。ここからの想像ですが。漱石もまた「英國仕立ててのトヰード」を着た、おひとりなのでしょうね。
「トヰード」と呼びたくなるトゥイードが欲しいものですが。
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