ドイルとテニス

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ドイルで、イギリス人となれば、コナン・ドイルでしょうね。コナン・ドイルが、シャーロック・ホームズの生みの親であるのはいうまでもありません。
その中のひとつに、『マザリンの宝石』があります。1921年の発表。ただし、物語の時代背景は、1903年におかれているのですが。『マザリンの宝石』の発端は、時の英国首相から、解決を依頼されるところからはじまる。もちろん創作の上で。
ところでその時代の英国首相は、「シャーロック・ホームズ」を読んだのか、読まなかったのか。読んだんですね。
1903年に英国首相だったのは、アーサー・ジェイムズ・バルフォア。たしかにバルフォア首相は、「シャーロック・ホームズ」を読んだ。1903年はちょうど政局の難しいところにさしかかっていて。バルフォア首相の頭も痛かったものと思われます。
そんなある日、首相官邸からバルフォアが自宅に帰って、執事が出迎える。開口一番、こう言った。
「今日はひとつ良いことがあったぞ。また、新しいホームズ物が出たそうだよ。」
これは、小泉信三著『炉辺の読書』に出ている話なんですね。小泉信三と、アーサー・バルフォアとに、共通点があります。それはお二人とも、テニスがお好きだったことです。
小泉信三は大正元年の九月に、ヨーロッパに留学しています。当時のようにイギリスでもテニスを愉しんでいます。

「当然方々の ロオン・テニス・クラブの芝も 刈られてシイズンが始まる。( 中略 ) 皆フランネルの長ズボンで、シャツも手首まであるのをまくりあげるのが常であり、靴も白革の編上げの底に厚いゴムを縫いつけた頑丈なものであった。」

小泉信三著『イギリス雑感』には、そのように出ています。1921年に、小泉信三はイギリスでテニスを満喫したようですね。その時代の英国でのテニス・ウエアが想像できる文章でもあります。
これを読む限り、ブーツ式のテニス・シューズがあったみたいですね。履いてみたいなあ。
白のバックスキンかなにかで、編上げ式で………。憧れてしまいます。

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