チャーチルですぐに想いだすのは、ウインストン・チャーチルでしょうね。もちろんウインストン・チャーチルと大いに関係あるのですが、「チャーチル会」というのがあります。
「チャーチル会」とはいわゆる日曜画家の集まる会なのです。そもそもの「チャーチル会」は、昭和二十四年にはじまっているそうですから、古い。
ちょうどその頃、『リーダーズ・ダイジェスト日本語版』という雑誌がありました。「ダイジェスト」の言葉通り、いろんな雑誌から面白い記事ばかりを集めて再録した内容。当然、売れに売れたのです。
リーダーズ・ダイジェスト・ビルは、いまの竹橋、毎日新聞のあるあたりにあったのです。余談ですが、リーダーズ・ダイジェスト・ビルの庭園を設計したのが、イサム野口だったのですね。
ある時の『リーダーズ・ダイジェスト日本語版』に、ウインストン・チャーチルの文章が載った。それは日曜画家礼讃の弁だった。事実、晩年のチャーチルは、偉大なる日曜画家だったわけですから。このチャーチルの記事を読んだ当時の文化人たちが、大いに刺激された。「ひとつ我われも、描いてみようではないか」と。
その時代、新橋に、「蟻屋」という喫茶店があって。そうそうたる文化人の集まる場所。ここの有志たちが集まって、「チャーチル会」に。たしか、高峰秀子も会員のひとりだったようですね。とにかく先生が安井曽太郎、梅原龍三郎というのですから、絢爛豪華。
異色と言って良いのかどうか、田村泰次郎も「チャーチル会」の一員だったらしい。田村泰次郎といえば、やはり『肉体の門』でしょうね。戦後まもなくの、有楽町のお姉さんたちを描いた小説。【肉体の門』もまた、当時売れに売れた小説でありました。
田村泰次郎の小説に、『ある香港人』があります。『ある香港人』は、香港のテイラーを描いた短篇なのです。この中に。
「俊敏そうな身体つきを、お手のもののスマートな裁断のグレイの洋服につつんでいる。」
これはテイラーの主、馬 立齢の様子。結局のところ、スーツは裁断の良し悪しで、決定されるのでしょう。裁断によって、シルエットがあらわれたり、また、あらわれなかったりするわけですからね。