長谷川は、わりあいと聞く姓ですよね。たとえば、長谷川海太郎とか。今、長谷川海太郎といってもぴんとはこないかも知れませんが。「林 不忘」ならきっと思い出すでしょう。
あの『丹下左膳』の作者。林 不忘の本名は、長谷川海太郎。長谷川海太郎は、林 不忘、谷 譲次、牧 逸馬の三つの筆名をつか分けて、書きに書きまくった流行作家でありましたね。
同じく長谷川でも、長谷川萬次郎。長谷川萬次郎は、昔むかし、朝日新聞の記者だった人物。萬次郎の実のお兄さん、山本笑月もまた、朝日新聞の記者だったという。
この長谷川萬次郎の筆名が、長谷川如是閑。もちろん、「にょぜかん」と訓むのですが。1910年に、倫敦で。「日英博覧会」があって、この取材に出かけたのが、長谷川如是閑。長谷川如是閑は名文家としても有名で、大正時代のはじめの「天声人語」は、長谷川如是閑の筆になるものです。
そうかと思えば、今の「高校野球」の先鞭をつけたもも、長谷川如是閑。もちろん「朝日新聞」の宣伝のために。
1910年に、長谷川如是閑が倫敦に行って、どこに滞在したのか。ホーランド・ロードの高級下宿に、住んだ。このホーランド・ロードに隣接しているのが、アディソン・ロード。アディソン・ロード14番地に住んでいたのが、ゴールズワージー。英国の作家、ジョン・ゴールズワージー。ゴールズワージーは1932年にノーベル文学賞を受けています。つまり1910年には健在ですから。長谷川如是閑とゴールズワージー。もしかすれば、どこかですれ違っているのかも知れませんね。
ゴールズワージーが、1917年に発表した小説に、『人生の小春日和』があります。この中に。
「毎朝、絹のハンカチにオーデコロンをふりかける老人にふさわしい落ち着きと、一種の優雅さがそなわっていた。」
これは物語の主人公、ジョリオン・フォーサイトの姿なんですね。
名文家にはなれそうもありませんが。時には、絹ハンカチを使ってみたいものではありませんか。