オーステンドとオペラ・ハット

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オーステンドは、ベルギーの港町ですよね。北海に面した、有名なリゾート地でもあります。北海をはさんでの対岸は、イギリス。イギリスとオーステンドとは向かい合っています。
オーステンド Oostende は時に「オステンデド」とも。
このベルギー、オーステンドに生まれた天才画家が、アンソール。十九世紀末から、二十世紀のはじめにかけて活躍した画家。不思議な、幻想的な絵を得意とした画家でもあります。今、オーステンドに行くと、アンソールの住んだ家遺っていて、見学することもできます。
ジェイムズ・シドニー・アンソールは、1860年4月13日の金曜日に、オーステンドで生まれています。

「アンソールの心はフランドル的、気質はイギリス的、大胆さはスペイン的」

そんな表現がされることもあります。それというのもアンソールのお母さん、マリアはフランドル系の家系に生まれているから。そしてお父さんのフレデリックは、イギリス人だったから。
オーステンドはイギリス人にとっても海外のリゾート地で、そこでフレデリックがマリアに恋をし、結婚したというわけなのです。
アンソールの実家は、土産物屋。それも遠い国々から蒐められた不思議な品々に満ちあふれていたのです。大きくなった、アンソールがそれらの異国の珍品に影響を受けなかったはずがありません。
ベルギーの、オーステンドが出てくる小説に、『虚栄の市』があります。原題はもちろん、『ヴァニティ・フェア』。サッカリーが、1848年に発表した長篇。

「護衛の軍艦に守られながらオーステンドに向けて出航していった。」

これはアミーリア・セドリが、ベルギーに旅立つ場面。『虚栄の市』には、こんな描写も出てきます。

「多くの洒落者たちが本物のオペラハットを被ってオペラを観に来ていたが……………」。

オペラ・ハット opera hat は、上下に畳めるトップ・ハットのこと。もちろん観劇の際に邪魔にならないための工夫。
当時の劇場には、椅子の下、または前席の背に畳んだオペラ・ハットをしまっておく場所が設けられていたのです。

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