クローデルとクレープ

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クローデルは、彫刻家ですよね。カミーユ・クローデル。カミーユ・クローデルは、1864年12月8日。フランスのタルドノアに生まれています。
カミーユ・クローデルが巴里に出るのは、1881年のこと。もちろん、彫刻家になることを目指して。十七歳の時に。
1882年には、石膏像『年老いたエレーヌ』を完成させています。
カミーユ・クローデルがはじめて、オーギュスト・ロダンに会うのが、1883年のこと。カミーユが、十九歳、オーギュストが四十三歳の時。これ以降、カミーユはオーギュストを師と仰ぐことになるのです。
カミーユ・クローデルの今に遺された写真などを見るにつけ、お美しいお方だったようです。またおしゃれでもあって。

「お送りする版画に描かれたドレスはこちらで大流行しているものです。」

1886年。友人のフローレンス・ジーンズに宛てた手紙の中に、そんな風に書いていますから。「こちら」が巴里であるのは言うまでもないでしょう。
カミーユ・クローデルは、1887年にブロンズ像『私の弟』を制作。カミーユの弟が、ポオル・クローデルなのです。

「夜、少し、ジッドとクローデルの往復書簡をよむ。」

1950年7月30日 (日曜日 )の日記の一節。パリ留学中の、遠藤周作の『日記』です。
遠藤周作が1957年に発表した長篇が、『海と毒薬』。この中に。

「縮みのシャツとステテコを着て横になっていた彼の姿です。」

これはとある病室での様子。「縮み」は、クレープでもあります。「クレエプ」でもあり、「クレポン」でもあります。もちろんシャツやステテコだけでなく、夏にはよく使われる生地でもあります。

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