遠州とエルメス

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遠州は、今静岡あたりですよね。むかしの遠州といえば、「森の石松」でしょうか。遠州、森の石松。もちろん清水次郎長の子分。
森の石松はあまり有名ではありますが。伝説の多い人でもあります。一説に、架空の人物とも。
森の石松は、浪曲で広く知られるようになった人物かも知れません。『清水次郎長伝 ・ 石松の金毘羅代参』は、名曲中の名曲。

「神田の生まれよ。」
「そうだってねえ、寿司くいねえ………」

廣澤虎造の名調子であります。廣澤虎造は関西で腕を磨いて、東京で人気の出た浪曲師。廣澤虎造は、明治三十二年、東京の芝に生まれています。
廣澤虎造は、二十三歳で、曲師の奥さんと結婚。その奥さんの母がまた、浪曲師。「呑気家綾好」。虎造は真打で、真打の前座に「呑気家綾好」が出て、拍手喝采。で、客はみんな帰ってしまって。
これに懲りた虎造、血の出る修業を重ねたという。虎造の、「莫迦は死ななきゃ直らない………」の名文句もそんな修業から生まれたものでしょう。
むかし、『航空母艦』という芝居があって。これに水兵の役で出たのが、越路吹雪。劇中、水兵が余興を演じる場面があって。コーちゃん扮する水兵、『清水次郎長』をうなって、客は沸きに沸いた。
越路吹雪、岩谷時子共著『夢の中に君がいる』に出ている話なんですが。
あとで岩谷時子が越路吹雪に訊いたところ。廣澤虎造のレコードを擦り切れるほど聴いて覚えたらしい。
昭和二十八年、四月。越路吹雪は、巴里へ。この時の日記が遺っています。

「益田さんと買物をする。パリ一の皮屋エルメスで手袋、靴、帽子を買い、素敵なソワレを作る。」

ここでの「益田」は、益田義信の益田義信は当時、巴里に住んでいた日本人画家。益田義信が越路吹雪をエルメスに案内したものと思われます。
越路吹雪は伝説的な買物好き。ある時、小林一三が越路吹雪に手紙を書いて。

「おまえ、贅沢をしちゃいかん、無駄遣いはやめろ…………」。

越路吹雪はこの手紙を額に入れて飾っていたそうです。
小林一三くらいのお方に、一度でいいから「贅沢をしちゃいかん」と言われるくらいに、エルメスで買物をしてみたいものですが。

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