ブランデーは、美味しいものですね。ブランデーとも、またコニャックと言います。ブランデーは、英語風。コニャックは、フランス風。
もっとも広くは、「オー・ドゥ・ヴィー」で、中でもコニャック地方で造られたものが、「コニャック」なんだそうです。
ブランデーの語源は、「焼いたワイン」の意味なんだとか。白ワインをゆっくりと蒸溜したエキスがブランデー、そうも言えるでしょう。
ブランデーの製法を日本に伝えたのは榎本武揚だとの説があります。では榎本武揚、いったいどこでブランデーの製法を知ったのか。オランダで。
榎本武揚は文久二年に、オランダに向けて出国しています。それは1862年のことで、榎本武揚、二十七歳のこと。
途中の航海で、病があったり難破があったり、苦難に苦難を重ねて、オランダのロッテルダムに着いています。1863年4月18日に。日本からざっと三百日ほどもかかっています。
日本に帰ったのが、1867年3月26日。横浜の到着。五年ほどオランダに滞在した計算になります。どうもこの間に、西洋の酒に親しんでいたらしい。それというのも。
1866年11月26日。帰国途中の海上で、榎本武揚はシャンパンを抜いて祝っています。西洋での11月26日は、日本の正月元旦に当たっていたので。少なくとも榎本武揚のハイカラぶりが窺えるでしょう。
ブランデーが出てくるミステリに、『闇からの声』があります。1925年に、イーデン・フィルポッツが発表した物語。
「彼女は私の所にブランデーを持って戻って来て……………」。
これは風邪気味で、身体を温めるのに、ブランデーが必要だったのですね。
『闇からの声』には、こんな描写も。
「白いフランネルのズボンをはき……………」。
これは、ニコラス・トレメーンという人物の様子。「白いフランネルのズボン」ということは、「ホワイト・フランネルズ」の姿なのでしょう。1920年代のホワイト・フランネルズは、純然たるスポーツ・ウエアだったと思われるのですが。
今の時代なら、もちろんブランデーを傾けるにも、最適でしょう。