トロッコは、ごく簡単な手押し車のことですよね。でも、「トロッコ」は今でも生きている言葉なのでしょうか。
トロッコはまた「箱車」でもあって、箱の下に車輪がついています。箱にはもちろん荷が積めます。車輪がついていますから、荷を積んでも、手で押せば動いてくれるわけです。
トロッコは一説に英語の「トラック」から生まれた和製語だと考えられています。
芥川龍之介が、大正十一年に発表した短篇に、『トロッコ』があります。主人公は、良平。八つの少年。でも、おそらくは芥川龍之介の少年期がモデルになっているものと思われます。
良平の近くで、軽便鉄道の工事がはじまって。そこでトロッコが使われている。良平はそのトロッコに乗りたくて乗りたくて。
それが芥川龍之介の手にかかると、じわりと心に沁みる物語になるのですから、やはり天才は存在するのでしょう。
「トロッコ」にはもうひとつの意味があって。もっとも扇谷正造の随筆『続・人生カバン』で教えられたのですが。もちろん戦前のブンヤのスラング。もっと限定いたしますと。戦前の朝日新聞での俗語。「トロッコ」は、「シンマイ」のこと。そのココロは、「未だ記者にあらず」。記者に汽車をかけてのシャレ。つまりは入社早々のかけだし君のことであります。汽車の手前なので、「トロッコ」。
扇谷正造はもと朝日新聞の記者。後に名文家と謳われた人物。扇谷正造著『続・人生カバン』には当時の「トロッコ」の話がたくさん出てきます。
昔、高橋是清がお忍びで、大阪へ。これを聞きつけた朝日新聞、トロッコを、いや、新人記者を「ハコノリ」。つまり汽車に同乗させて、インタヴュー。トロッコのウブな質問に丁寧に答えてくれる。
やがて高橋是清、記者のメモとペンを取って、書名を列記。そして、言った。
「君も記者になるからには、これらの本を読んでおき給え。」
その記者は終生、その高橋是清の走り書きを大切にしたという。あるいはまた。
「今でこそ白パンツもおかしくないが、何しろ昭和初頭のことである。」
先輩から記者になるにはまず、顔を覚えてもらうことだと教えられたトロッコ、「白パンツ」姿で警察庁まわり。「彼」はすぐに顔と名前を覚えてもらうことができたという。
今の時代なら、ホワイト・トラウザーズでしょうか。
せめてホワイト・トラウザーズを穿いて、トロッコの初心に戻るといたしましょうか。