モヒカン刈りというのが、むかし流行りましたね。なんだか前衛芸術家の証しのような印象さえあったものです。モヒカン刈りは、スキン・ヘッドに似ていなくもありません。スキン・ヘッド風にも思えるのですが。頂頭部に一筋、畝のように残している。それを「モヒカン刈り」と呼んだものです。たぶん、ネイティヴ・アメリカンの、種族名に因んで名づけられたものでしょう。
ママラッドの短篇に、『最後のモヒカン族』があります。バーナード・ママラッドが、1958年に発表した物語。でも、『最後のモヒカン族』にほんとうのモヒカン族が出てくるわけではありません。
ただ、強烈な人物が描かれていることは間違いないのですが。ママラッドはひと言も言ってはいないのですが、「最後のモヒカン族」と名づけことで、「強烈な人物」を暗喩しているのでしょう。
それとは別に、『最後のモヒカン娘』と題された短篇があります。1885年に、ロシアの文豪、チェホフが発表した物語。
『最後のモヒカン娘』にも、具体的にモヒカン族が登場するわけではありません。が、実に強烈な娘があらわれて。要は、「言わんとするとこは、分かってくださいね」ということなのでしょう。
つまり、チェホフも、ママラッドも、根っこは一緒で、「強烈な人」を描きたかったものと思われます。
モヒカン族が出てくる小説に、『バックスキンの少女』があります。1956年に、ドロシー・ギルマンが書いた涙の物語。ただし物語の背景は、アメリカ植民地時代におかれているのですが。
「モヒカン族の一部は、昔彼らが使った狩猟の地に逃げ込んでひっそりと………………。」
『バックスキンの少女』の主人公は、レベッカ。白人の少女。それが故あって、インディアンとして暮す物語なのです。涙がこぼれる小説です。この中に。
「一日中、ヘラジカをしとめることと、その皮で作るモカシンのことを考えていた。」
モカシンにはヘラジカの革が最適なのでしょうか。ヘラジカのモカシン、履いてみたいですね。ただ、モヒカン刈りのほうはちょっと…………。