カルフとガリバルディ

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カルフという町があるんですってね。南ドイツの、静かな町なんだとか。
C a lw と書いて、「カルフ」と訓むんだそうですが。
このカルフの町に、生まれたのが、ヘルマン・カール・ヘッセ。1877年7月2日のこと。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』は広く知られていますよね。
ヘルマン・ヘッセもまた故郷を愛した作家のひとり。カルフを背景に多くの物語を書いています。
ヘルマン・ヘッセの文名が高まるにつれて、来客もまた多くなったんだそうです。ヘッセは来客の応対に忙しくて、なかなか机に向かえなくなって。
ある日のこと。ヘルマン・ヘッセが自宅の庭で、雑草を抜いていた。そこに観光客が通りかかって、訊く。「ヘッセさんの家はどこですか?」。で、ヘッセ答えて曰く。
「ああ、ヘッセさんの家なら、もっと坂を登った先ですよ」
ちょうどその頃の話なんですが。玄関前に貼紙をすることに。
「訪問はお断りいたします」
そんな折にヘッセを訪ねたのが、トオマス・マン。トオマス・マンはこの貼紙を読んで、帰る。帰って、そのこと記事に書いたので。さすがのヘッセも反省した話が遺っています。
ヘルマン・ヘッセの短篇に、『ガリバルディ』があります。『ガリバルディ』は、1904年に発表された物語。『ガリバルディ』もまた、故郷、カルフに題材を採っているのですが。
これはカルフの、風変わりな労働者を描いた短篇。ガリバルディはその男の仇名で、本名は、ゲオルク・グロースハンス。ヘッセのお母さんが「ガリバルディ」の命名者。風貌がジュセッペ・ガリバルディに似ていたので。
ファッションのほうで「ガリバルディ」となれば、赤いウールのシャツの名前になります。ガリバルディ・シャツ。プル・オーヴァー式のシャツ。イタリアの英雄、ガリバルディが愛用し、流行させたのでその名前があります。
一度、ガリバルディ・シャツを着て、カルフを訪ねたいものですね。

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