女とオーヴァー

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女は、「おみな」のことですよね。女は男ではないほうの性。女があってこその、男。男だってみな例外なく女から生まれてきているのですから。
男と女。女のほうがどうも詩作に向いているのではないか。そんな風に考えることがあります。
たとえば、あまりにも有名な、サフォー。サフォーもまた、申すまでもなく女で、詩人でありました。とにかく紀元前七世紀の詩人だというのですから、参ったしまいます。
古代ギリシアの、レスボス島に生まれ、住んだ詩人、サフォー。しかもサフォーはひとつの例であって。古代ギリシアだけでも。ミュルティス、コリンナ、プクシラ、テレシラ、ノッシス、アニュテー、エーリンナ、モエロー などの女性詩人がいたんだそうですね。
これを眺めるだけで、「女は詩人」の観を深くするでありましょう。ことに、ノッシスなどは、「我こそは、もうひとりのサフォー」だと考えていた節さえあります。

むらさきの髪匂ふ、いときよらかな
やさしくほほえみたもふサフォーよ

同時代、同郷の詩人、アルカイオスは、そのように詠んでいます。ここから想像するに、サフォーはお美しいお方でもあったのでしょう。サフォー自身は晩年に。

わたしの巻毛は黒髪から白髪へと変わり
わが膝はもう体を支えることもかなわず

と、詠んでいます。サフォーは、美青年のファオーンに恋し、その恋の叶わぬのを嘆いて、レウカスの岩から身を投げたと、伝えられています。女の詩人が出てくる小説に、『マルテの手記』があります。『マルテの手記』は、リルケの作。1910年の刊行。

「ガスパラ・スタンパがそうだった。マリアナ・アルコフォララドがそうだった。」

ガスパラ・スタンパは、中世、イタリアの女の詩人。マリアナ・アルコフォララドは、十六世紀、ポルトガルの女詩人。
『マルテの手記』には、こんな描写も出てきます。

「ぼくがこの前かかった医者が、かがやくばかりに白い手袋、ぴかぴかのシルクハット、文句のつけようもないオーバーといういでたちで姿を見せた。」

「文句のつけようもないオーバー」。それはいったいどんな風だったのでしょうか。
「オーヴァー」は、純然たる和製英語。オーヴァーコートの略。コートの上に羽織るから、オーヴァーコート。ここでのコートは「上着」意味。
好みのオーヴァーコートを着て、女詩人の本を探しに行くとしましょうか。

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