巴里と薔薇

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巴里と京都は、なんとなく似てるんですってね。やはり時と国とを超えて、都は都なんでしょうか。
昭和三十三年に巴里を訪れた日本人に、高見 順がいます。高見 順はいつもポケットに小型の手帳を入れていたそうで、今に旅日記が遺っています。メモの脇に添えて、素描などもあったりして、当時の巴里の匂いが立ちのぼってくるほどです。たとえば。

「アプサンをのむ。」

とか。5月23日の日記に。正しく、「アプサン」と書いているのが、いかにも高見 順らしい。これはモンパルナスの「カフェ・ドーム」で。浜口陽三と、桂ユキ子も一緒だったらしい。
だいたい高見 順が巴里で会う人の顔ぶれが、豪華。朝吹夫人だとか、荻須夫人だとか、石井好子だとか………………」。
もっとも高見 順はアプサンばかり飲んでいたわけでなくて。

「モンパルナスのテラスでコニャックをのんでいると、浜口夫妻が通りかかる。」

そんな風にも書いています。5月29日の日記に。この「コニャック」の話は、何度か出てきます。まことに、羨ましい。
明治四十年に巴里に行ったのが、永井荷風。

「紐育を出帆して丁度一週間目、夜の十時半に初めて仏蘭西のル・アーヴル港に着した。」

永井荷風は『ふらんす物語』を、こんな風に書きはじめています。
永井荷風は巴里で二泊して、リヨンへ。巴里のホテルを発つ時、馬車を呼んでもらう。荷風が、その馬車に乗ろうとすると。宿の女将が。

「暖炉の上の花瓶から白薔薇の一輪を抜取って、道中のおなぐさみにとまで自分に手渡ししてくれた。」

白薔薇。荷風はこれを、胸のボタン穴に飾ったのでしょうか。なんだか巴里らしい話ですね。

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