コーヒーとコードヴァン

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コーヒーはよく飲みますよね。一杯のコーヒーとともに一日がはじまる。そんなお方も珍しくはないでしょう。
今はコーヒーであり、カフェでありましょう。むかしは時に、珈琲と書いたものです。が、「珈琲」に落ち着くのは、明治末のことかと思われます。それというのも、c off e e に対する宛字にもいろんなのがあったらしいので。
たとえば、「可否」。これで、「カヒー」と訓ませた。「可否」。悪くないですね。第一、「コーヒー」より原音に近いではありませんか。第ニに、佳いコーヒーもあれば、それほど佳いわけでもないコーヒーもあるでしょうから。「可否」。
日本での喫茶店の第一号が、「可否茶館」である、との説も。この「可否茶館」に、いたくご興味おありだったのが、内田百閒。事実、『可否茶館』と題する随筆をも、お書きになっています。

カヒー 一椀 代価 金一銭五厘

そんなふうに出ているそうです。明治二十一年四月の、「可否茶館」の開店案内に。内田百閒は、この案内状を大切に持っていたそうです。でも、なぜ、内田百閒はそれほどまでに、「可否茶館」に関心がおありだったのか。
内田百閒は、明治二十二年五月二十九日の生まれ。つまり、「可否茶館」の一年後にお生まれになったいる。ほぼ、同世代。
コーヒーが出てくる小説に、『青年の環』があります。1947年に、野間 宏が発表した長篇。

「大道出泉は自分の心の乱れを隠すためにテーブルの上のコーヒー茶碗を取り上げた。」

まあ、そんなこともあるでしょうね。また、『青年の環』には、こんな描写も。

「大型の英国製の腕時計をはめ、小さな形のいいコードバンの靴をはいていた。」

今も昔も、コードヴァンは、高級品であります。馬の革。それも馬の、尻革。厚く、丈夫で、よく光る。
スペインのコルドバが発祥の地ともいわれています。
コードヴァンの靴をよく磨いて。美味しいコーヒーを飲むといたしましょうか。隣に内田百閒製の随筆があれば、いうことなしでありますが。

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