ホテルは、宿のことですね。もちろん、h ot el 。フランス風には、「オテル」となります。
ホテルには「泊まる」という機能があります。また、その一方でホテルには、「浄化」とい働きもあるでしょう。好みのホテルで過ごすことによって、心と身体とを「浄化」してくれる。その好みのホテルとは………………。
たとえば、「富士屋ホテル」。箱根に、「富士屋ホテル」がありますよね。富士屋ホテルは、浄化ホテルです。何がどうとは説明できないのですが。大正時代を垣間見た気持にさせてくれます。旧き佳き時代の大正、または明治末期は、こんな風だったのではないか、と。
富士屋ホテルは、「時間旅行」するには、恰好の宿でありましょう。
第一、朝食からして、なんだか戦前の匂いに満ちています。「パンケーキを」と註文すると、「折紙」が出てきます。薄焼きのパンケーキがきれいに畳んで、出てくるのです。ちょっとしたオママゴトの気分。
あるいはまた、フレンチ・トオストを頼んでみましょう。意外な姿のフレンチ・トオストの姿に、嬉しい悲鳴をあげそうになってくるほど。ふつう、フレンチ・トオストは、焼く。でも、「富士屋ホテル」のフレンチ・トオストは、揚げているのです。これほど濃密なフレンチ・トオストも、ちょっと珍しいのではないでしょうか。
よく知られているように、「富士屋ホテル」は、明治十一年、山口仙之助によって開かれています。
この山口仙之助は、当時、横濱の遊郭「神風楼」の息子だったという。
山口由美著『箱根富士屋ホテル物語』に出ていますから、ほんとうでしょう。山口由美は、山口仙之助の、曽孫にあたるお方ですから。
江戸期の粋も粋、遊郭から、その時代にあってハイカラの頂点を極めたホテルが生まれている。まことに興味深いことではないでしょうか。
富士屋ホテルが出てくる小説に、『安城家の兄弟』があります。里見 弴が、昭和四年に発表した長篇小説。
「翌日は、富士屋ホテルまで午飯を食べに行つて、そこからもうぢかに引きあげることになつた。」
また、『安城家の兄弟』には、こんな描写も出てきます。
「ホーム・スパンの運動着の胸衣嚢から、氣どつた手つきで、手巾を抜くと、出もしない洟をチンとかんで………………………」。
これは、澤田という男の様子。
もちろん、「ホームスパン」 h om e sp un の上着を着ているのでしょう。もともとはスコットランドの手織のウール地。トゥイードが綾織であるのに対して、ホームスパンは平織。トゥイードよりもさらに、朴訥な生地のことです。だからこそ、味わいも一入深いのですが。
ホームスパンの上着で。富士屋ホテルに行きたいものですが。