クレイジーは、わりあいよく使う言葉ですよね。クレイジーを日本語にするなら、「バッカみたいって」でしょうか。ほんとうに莫迦なのではなくて、なんだかとても行きすぎているときに、「クレイジー」。
たとえば、『クレイジー・ラヴ』。1958年の、ポール・アンカのヒット曲。あれも単に「莫迦な戀」ではないでしょう。自分で考えてみても、「バッカみたいにほの字」という歌なんでしょうね。
クレイジーは英語かと思いきや。巴里に有名なキャバレエ「クレイジー・ホース」があります。はじめて巴里を訪れた殿方はまず例外なく、木戸を通ることになっております。女の裸を藝術的に観せる唯一の場所。
でも、どうしてまた「クレイジー・ホース」なのか。その昔、裸の女が髪に、赤い羽根を挿して踊る印象があったから。これがネイティヴ・アメリカんみたいなので、「クレイジー・ホース」。
クレイジー・ホースは実在の、ネイティヴ・アメリカンの、英雄。ただし「クレイジー・ホース」は天からの啓示を受けた特別の勇者で、身体への装飾はまったく着けることがなかったという。
バッカみたいが出てくる小説に、『蘭を焼く』があって。1969年に、瀬戸内寂聴が発表した短篇。
「馬鹿みたいに簡単なんだよ。」
これは物語の中の「規一」の会話。ある時、列車で偶然、見知らぬ女と隣合わせの席に。女は肘掛に仕込まれてテーブルを引き出そうとして、引き出せない。で、規一が代って引き出して。その時の形容が、「馬鹿みたいに簡単」。
クレイジーが出てくる小説に、『顔』があります。L・P・ハートリーが、1961年に発表した短篇。
〈クレイジー・カフェ〉に入った瞬間に彼女に気づいた。
ここはキャバレエではなく、カフェという設定になっています。実はこの『顔』は、『棄ててきた女』というアンソロジーに入っている短篇。この同じアンソロジーには、『時間の縫い目』も収められていて。
『時間の縫い目』は、1961年に、ジョン・ウィンダムが発表した物語。この中に。
「その青年の服装は、クラブのマークがついた縞のブレザーと、白いフラノのズボン、首にシルクのスカーフを巻き………………」。
ストライプのブレイザー 。たぶん「クラブ・ブレイザー 」なのでしょうか。
十九世紀末のブレイザー は、多くクラブ・ブレイザー だったのです。一枚仕立ての、縞のブレイザー 。というのも、それぞれのクラブの紋章としてのストライプを表すのが、目的だったのですから。