ガートルードとカフ・リンクス

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ガートルードで、1920年代の巴里といえば、ガートルード・スタインでしょうね。
ガートルード・スタインは、1874年2月3日。アメリカのペンシルヴァニアに生まれています。
ガートルードが巴里に移り住んだのは、1903年のこと。ひとつには、すぐ上のお兄さん、レオが巴里にいたから。巴里の、フルーリュス 27番地に住んでいます。兄のレオと一緒に。
レオ・スタインは、美術に興味があって。巴里の前にはフィレンツェで、美術を学んでいます。この時、レオの先生だったのが、バーナード・ベレンソン。美術史家であります。
バーナード・ベレンソンはレオに言った。
「巴里に行くなら、セザンヌを観てきなさい」
その時、セザンヌはまったく無名だったにもかかわらず。事実、レオは巴里でセザンヌを見て、その絵を買っています。
マティスについても、同じように。ほぼ同じ頃、マティスの『帽子の婦人』を購入。ほとんど人びとの関心を集めなかった絵を。
その次に、ピカソを。ピカソの『花篭を持つ女』を。値段は、150フランスだった。ピカソの画商だった、クロヴィス・サゴを通しての値段として。
当時のアメリカのドルは、フランスではかなりの値打があった。絵そのものが安かったことに加えて、レオとガートルードにとっては二重にお買い得だったのでしょう。
その頃、ガートルードに会ったアメリカ人に、ポール・ボウルズが。ボウルズは、ガートルードに詩を見てもらった。と、ガートルードは言った。

「これの唯一の欠点は、これが詩ではないことね。」

まあ、これがきっかけとなって、ガートルードはボウルズを、ジャン・コクトオに紹介してくれたという。ポール・ボウルズ著『止まることなく』に出ている話なのですが。『止まることなく』は、『ポール・ボウルズ自伝』にもなっています。『止まることなく』には、こんな話も出てきます。

「ヒューバートはいつもシルクのシャツを着、しかもそのときのシャツの色に合わせてサファイアやルビー、またはエメラルドやアメジストのカフスボタンをはめていた。」

ヒューバートは、十九世紀末のデザイナーだと、紹介されています。
絹のシャツにも、宝石のカフ・リンクスにも、憧れてしまいます。
好みのカフ・リンクスで、ガートルードの本を探しに行くとしましょうか。

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