モデルとモオド

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モデルは、絵を描く時のモデルですよね。「モデル」にもいろんな意味があるのでしょう。が、ここではとりあえず、絵のモデルということで、話を進めるといたします。
鍋井克之が、モデルの話を書いているから。『ノルマンデーの漁家』という随筆の中に。
鍋井克之は、戦前に活躍した洋画家。フランス滞在も長いお方ですから、ノルマンディーに行ったのも、当然でしょう。
その時は同じ画家仲間三人と一緒に、ノルマンディーに。これまた当然のごとく、絵を描くことに。幸い、近くに漁師の家があって。そこに女の子がひとり、男の子がひとり。
姉は十歳くらい、弟は八歳くらい。モデルになってもいい、と。
まあ、そんなことで漁師の家とも親しくなって。

「ボール紙に、油絵具かペンキかで、極薄くかかれた帆船の絵絵であつた。」

鍋井克之は『ノルマンデーの漁家』の中に、そのように書いています。聞くと漁師の父が、暇な時に慰みに描いたもの。しかし、不思議に胸をうつものがあって。2フランほどで、譲ってもらうことに。
名もないというより、本職の画家でもない漁師が描いた「帆船」は、長く鍋井克之の画室に掛けてあったという。
この『ノルマンデーの漁家』は、さりげない随筆になっています。が、私には教えられることの多くて。有名無名だとか、評価が高いとか高くないとか。それがすべてなのかと、思わせてくれるのです。
この『ノルマンデーの漁家』は、昭和二十六年『美しい暮しの手帖』第十二号に出ています。
この『美しい暮しの手帖』第十二号を開いていますと、花森安治が、『流行を批判する』という原稿を書いています。その全文をここに引き写したいところではありますが。
まず、外国からいろんなモオドがやってきますね、と書いた文章を、花森安治は、このように締めくくるのです。

「ただ新しい流行だといつて、それをことごとく眞似るのは、おろかしく、かなしいことであろう。」

これ以上、なにかをつけ加える必要は、ないでしょう。

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