モンブランとモッサン

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モンブランは、ケエキの名前にもありますよね。土台はスポンジ・ケエキで、クリイムに包んで、上にマロンを載せた形。
日本でのモンブランは、迫田千万億がはじめたと言われています。今、自由が丘にある洋菓子店「モンブラン」の初代が。
迫田千万億は、昭和八年にヨオロッパを旅して、モンブランに出会う。それを日本風の作ったのが、今日のモンブランになったんだそうですね。
むかしのヨオロッパのモンブランはスポンジ・ケエキではなくて、メレンゲが台であったという。そして頂上に粉砂糖をふりかけた。これが山のモンブランに想えるので、その名前になったんだとか。
モンブランは日本式にいえば、「白山」。いつも頂上が白いので、「モン・ブラシ」なんだそうですね。

「延長十一キロメートル半、工事豫算一千五百萬ドル…………………。」

瀧澤敬一著『第八フランス通信』には、そのように書いてあります。これはまだ、モンブラン・トンネルが計画中だった頃の話。
この『モンブランのトンネル』と題する随筆は、1948年7月7日に書かれているのですから。
モンブラン・トンネルの開通は、1965年7月19日のこと。ただし、瀧澤敬一は、1848年に、モンブラン・トンネルの計画をかなり詳しく説明しています。
また、『第八フランス通信』には、こんな話も出てきます。

「手輕なベレー帽の二三百圓から、M onss ant の商標の二千圓。」

これは、1948年11月2日執筆の『バタがらくに買へる日』という随筆の一部です。
「モッサン」は以前、フランスにあった帽子メイカーのこと。
モッサンは、1833年の創業。初代のモッサンが一人で開いたアトリエ。小さいながら、極上帽子ばかり作るので、人気になった銘柄です。
初代の跡を継いだのが、シャルル・モッサンで、拡大路線。1930年代には、日産、2,000個を誇った。もちろん世界に輸出するために。戦前の日本にもモッサンは輸入されて、高嶺の花でした。
ひさびさにモッサンの話を聞いて、モンブランに登ったかのような感動を覚えたものです。

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