絵師とエレガント

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絵師は、画家のことですよね。でも、浮世絵の場合には画家はふさわしくはないでしょう。やはり、「絵師」がぴったりきます。
浮世絵もまた、日本の誇る伝統藝術です。
浮世絵の最盛期は、江戸時代。では、幕末から明治のはじめにかけて、浮世絵はどうなったのか。幕末にあっても、浮世絵は消えることがありませんでした。
たとえばそのことのひとつの例が、「横濱浮世絵」。横濱浮世絵は、幕末になって横濱にやって来たもの珍しい異人さんが、絵の対象となったものです。これを、横濱浮世絵師といったものであります。
これまた、ひとつの例ですが、五雲亭貞秀。これで、「ごうんてい さだひで」と訓みます。五雲亭貞秀は、代表的な横濱浮世絵師。
五雲亭貞秀のことはよく分かってはいません。ただ、1807年に、今の、千葉県我孫子に生まれています。
五雲亭貞秀の別名は、歌川貞秀とも。はじめ、歌川國定の門下であったからです。また、玉蘭斎の号を用いた時期もあったらしい。
安政六年に、横濱開港となって、おおくの異人さんが。この前代未聞の報せにじっとしていられなかったのは、商人ばかりではありませんでした。浮世絵師もまた、横濱の異人に興味を持ったのであります。
それらの絵師の中でも、抜きん出ていたのが、五雲亭貞秀だったのです。「空飛ぶ絵師」と形容されたように、俯瞰の構図に長けていました。
たとえば、1861年に、五雲亭貞秀は『横濱商館真図』を完成させています。はじめて観る文物を、まこと立体的に描いています。
しかし、五雲亭貞秀の真髄は、やはり異人の人物画にあるでしょう。遊女を描いたその筆で、異人の姿を描いたのであります。
五雲亭貞秀は、文久元年一月に、『横濱渡来亜墨利加商人之図』を描いています。そこには妻を伴って、横濱の町を散策する様子が描かれているのですが。
この横濱浮世絵をはじめとして、貞秀の描く異人はどれも優雅なのです。なぜ、優雅なのか。もちろん、時代の特性でもありましょう。
しかし私は、そのエレガントの秘密は「頸」にあるのではないかと、考えています。その時代の紳士は皆、クラヴァットですから、「頸」が完全に隠されていて。
第一、ボタン位置が、高い。洋服全体のバランスがかなり高い位置に置かれている。それがエレガントの秘法であろう、と。
さて、エレガントな服を着て、横濱浮世絵を観に行くとしましょうか。

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