セロリは、野菜ですよね。
ぱりぱりと歯触りもよく、香り高い野菜であります。サラダにもよく使われるものです。葉も茎も食用になる野菜。
セロリ s er ely と書いたら、英語。séreli と書いたら、フランス語になるんだそうですが。
日本語だと、「オランダミツバ」。その昔、オランダ船が運んで来たからなんだとか。
日本でも古い時代には、「セルリ」の名前で呼ぶこともあったらしい。
でも今でも野菜の専門家は、「セルリ」と呼んでいるんだそうですね。
セルリとは私のことかとセロリ言い、というところでしょうか。
セロリの原産地はスゥエーデンとの説もあるようですが。少なくとも古代ギリシアの時代には、セロリが知られたいたようです。ただし、薬用として。主に、強壮剤だったという。
「………川の對岸なる沼澤の周圍セレリー茂生するを發見せり……………………。」
1896年に、フランスの、ジュール・ヴェルヌが書いた『十五少年』には、そのように出ています。日本語訳は、森田思軒。
この先を呼んでいますと、美味しくて健康にも良いと、ありますから、フランス人のジュール・ヴェルヌは、セロリが食用であると、識っていたのでしょう。
ところが、明治二十九年にそれを翻訳した森田思軒は、食用とは思っていなかったのですね。
「是はセロリイだが………小野さんは見たことありませんか……………………。」
明治二十九年に発表された『青春』のなかの会話。
「欣哉」が、「小野 繁」と食事をしている場面。著者、小栗風葉は、「セロリイ」と書いています。
この場合の「セロリイ」は、観葉植物なんですね。明治期にセロリを食べる習慣はありませんでしたから。
日本人がごくふつうにセロリを食べるようになったのは、戦後になってからのことなんだそうですね。
「セルリーまたは白芹と呼ばれ、古くはオランダミツバともいった。」
本山荻舟の『飲食事典』には、そのように紹介されています。
本山荻舟著『飲食事典』は、セロリのフライを紹介しているのですが。
セロリの煮汁に、バターと粉を混ぜて、卵を混ぜ。生のセロリにパン粉とともに塗って、揚げる。これは「美味」と、本山荻舟は書いています。
もう一度、『青春』に戻ってみましょう。
「北大路は白セルの背広に白リンネルのチョッキ……………………。」
北大路安比古は、子爵という設定になっています。
セルは、「サージ」s e rg e のことです。サージを最初「セルジ」と訓んで。さらに、セルジを、「セル地」と理解。セルの生地なら「地」は要らないのではないか。というので、「セル」の日本語が生まれたわけですね。
「………紋付の袷羽織を着たるもあれば、精縷の背廣なるもあり……………………。」
尾崎紅葉が、明治三十年に書いた『金色夜叉』の一節。尾崎紅葉は、「精縷」と書いて、
「セル」のルビを添えています。
尾崎紅葉の弟子が、小栗風葉。師弟ともに「セル」を、小説のなかに登場させているわけですね。つまり明治三十年代に「セルの背広」は珍しくなかったと、考えて良いでしょう。
どなたか「白セル」で、スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。