舞踏会とフィギュア

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舞踏会は、ダンス・パーティーのことですよね。
舞踏会は正式の晩餐には不可欠のものだったようです。晩餐が終ったなら、そのあとでたいてい舞踏会があったものらしい。
舞踏会の中でもことにフォーマルなのが、仮面舞踏会なんだそうです。これはやんごとなきお方も出席なさる、との意味なのでしょう。
日本に舞踏会が輸入されたのは、明治絹の鹿鳴館以来のことかと思われます。

「………一昨日の晩には鹿鳴館で舞踏會があつたと見ゆる……………………。」

明治二十一年に、末廣鐡腸が発表した『花間鶯』の一節に、そのように出てきます。
「舞踏會」の言葉としては、比較的はやい例でしょうか。
これよりも先、明治十八年、ドイツでの仮面舞踏会に出た人物に、森 鷗外がいます。

「…………水晶宮に往きて仮面舞を観る。われは飯島と共に土耳古帽を戴き、黒き仮面を被りて入りぬ。」

明治十八年一月八日に、『独逸日記』に、そのように書いています。
ここでの「土耳古帽」は、フェズ f ez のことかと思われます。赤い、小さなバケツを逆さにした形の帽子。必ず黒の、長い房がつくのが特徴の帽子ですね。
森 鷗外の『独逸日記』は、明治十年代の、ドイツでの消息を知る上で、貴重な資料となっています。
この『独逸日記』の中に。

「………いかに立ち、いかに坐り、いかに拝み、いかに跪くが善しと、丁寧にをしへらるることなれば……………………。」

明治十七年十月十二日の『日記』に、そのように書いてあります。
ドイツでの上流階級では、一定の年齢になると。専門の舞踏家について、正しい立ち方などを教えられることになっていると。
私もまた耳が痛い。ちゃんと立つ事もできないので。
ふだんの立姿で壁を背に立つと、頭だけが前に。これではまっすぐ立っているとは言えないのです。
正しく立っていないなら、正しく歩いてもいない。恥ずかしい限りであります。
スーツの能書の前に、スーツが映えるフィギュアが大切だと、反省あるのみです。

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