帯とおしゃれ

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帯は、ジャパニーズ・バンドのことですよね。
着物はただ身体に巻きつけて。ボタンもホックもなしに。それで、帯を結ぶわけですね。
まず下帯があり、その上に「帯」を結ぶ。帯をバンドと考えるなら、もっとも華麗なるバンドでありましょう。
むかしは「帶」と書いたようですが、今は多く「帯」の字を使うようです。

「高市皇子より以下、小錦より以上の太夫等に衣、袴、ひらおび、腰帯、脚帯、及び机杖賜ふ。」

『日本書記』にも、そのように出ています。ここでの「腰帯」は、今の帯ではないでしょうか。
帯が出てくる日記に、『夢声戦争日記』があります。

「静枝が、帯を出して見せた。アル中画伯が油絵で花を描いた丸帯である。画料二十円也。とても安いような気がした。」

昭和十八年七月十一日のところに、そのように書いてあります。画家の名前は、徳田耕作。
徳田球一の従兄弟なんだそうですが。
昭和十八年は、太平洋戦争末期で。食うに食うものなし、着るに着るものなしに、近い時代だったのかも知れません。
「静枝」は徳川夢声の妻。昭和十八年に、徳川静枝は、二十円出して、徳田耕作に花の絵を描かせたのでしょう。
着物に絵を描かせるのは、珍しいことではありません。長襦袢も、帶も。でも、昭和十八年というのは………。
ここから推し量るに、いつの時代にも、どんな時代であってもおしゃれは消えることがないのではないでしょうか。

「アレ御覧。お初どんがあんなにお洒落だよ……………………。」

式亭三馬が文化十年に発表した『浮世風呂』の一節。
これは「むす」という女の科白として。言われたほうの「お初」は。

「お洒もじかエヲホゝゝゝゝゝ」

と、羞らって洒落で返す。
少なくとも西暦の1810年頃の江戸では、「お洒落」もあり「洒落」もあったと、考えて良いでしょう。
この会話の少し前に。

「蜻蛉が羽根をひろげたやうにしやつきりして、幅の狭い帯でございませう。」

これもまた「おむす」の言葉。ここから延々と、「おしゃれ」の話が続くのですが。
つまり人はどう逆らっても「おしゃれ」から逃げることはできない。ならば大いにおしゃれを愉しもうではありませんか。

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