友は、友人のことですよね。友だち。フレンドであります。
男と男の友。女と女の友。男と女の友。いろんな「友」があるのでしょうね。親友なんて言葉もあります。
男と男の親友。女と女の親友。でも、男と女の親友はちょっと難しい。男と女の親友なら、
限りなく「戀人」に近くなってしまうから。
ところで、「友」とは何なのか。
「君は私を買ひ被つてゐる。私はそんなにえらくはない。」
大正四年に、森 鷗外が発表した『二人の友』の一節に、そのように出ています。
明治三十二年に、森 鷗外が小倉に赴任していたのは、よく知られている事実です。
その頃に実際にあった話を小説に仕立てたのが、『二人の友』。小説の中では、「F」と書かれている「友」。
Fは突然、東京から鷗外を訪ねて。「ドイツ語を教えて頂きたい」と。「東京には教わるほどの先生がいないので………」。そのFの言葉に対して、鷗外が答えるのが、引用部分であります。
鷗外が試みに、ドイツ語の心理学の本を読ませると、すらすら読んでしまう。それで、
鷗外はドイツ語の先生にもなり、「友」にもあるという短篇になっています。
ところが世の中狭いもので。
「僕は一高へはひつた時、福間先生に獨逸語を學んだ。」
芥川龍之介は、大正十五年に発表した随筆『二人の友』を、そのように書きはじめています。
この「福間先生」こそ、鷗外の『二人の友』にFと出てくる人物なんですね。芥川龍之介のドイツ語の先生が福間先生で、福間先生の先生が森 鷗外だったというわけであります。
芥川龍之介はむろん鷗外の『二人の友』に目を通していたので、あえて『二人の友』の題を選んだのでしょう。
話は変りますが。フランス映画に、『さらば友よ』があります。1968年の映画。
アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンとの共演。ドロンは実に佳いシャツを着て、
ブロンソンは実に佳いダブルのスーツを着ています。
『さらば友よ』の監督が、ジャン・エルマン。
そして、ジャン・エルマンが、1979に書いた小説が、『鏡の中のブラッディマリー』なのです。
ここのところちょっとややこしいのですが。
「ジャン・エルマン」は、本名。でも映画から離れて、作家になった時の筆名が、
ジャン・ヴォートラン。つまりヴォートランは小説家で、エルマンは映画監督というわけですね。
ヴォートランの『鏡の中のブラッディマリー』に。
「シュナイダーは玄関に向かった。トレンチコートを羽織る。おそらくは身を守るためにちがいない、彼は夏でもトレンチコートを着ていた。」
シュナイダーは刑事という設定になっています。パリの刑事は夏でもトレンチ姿なのでしょうか。
英語には、「トレンチャー・フレンズ」の言い方があるらしい。「食友」。美味しいものをご馳走してもらうための友。
着て着て着込んでいるうちに親友になれるトレンチを、どなたか仕立てて頂けませんでしょうか。