機関車とギャロン

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機関車は、汽車ポッポのことですよね。英語で申しますと、「スティーム・ロコモティヴ」
でしょうか。
今。列車は主に電気で走っています。でも、昔の汽車は蒸気の力で動いていたのですね。
つまりは「蒸気機関車」。蒸気機関車を短くして、機関車といったのでしょう。

🎶 汽笛 一聲 しんばしを………………。

ご存じ『鉄道唱歌』の歌い出しであります。明治三十三年の歌。その頃は今の汐留駅が始発だったのです。
明治三十三年ですからもちろん、蒸気機関車でありました。
蒸気の前には、馬車。馬に列車を挽かせた時代もあったらしい。

「蒸氣車とは蒸氣機關の力を藉りて走る車なり。」

福澤諭吉が、慶應二年に書いた『西洋事情』には、そのように出ています。
幕末の日本に蒸気機関車はありません。ない蒸気機関車を説明するのは、さぞかし骨折りだったでしょう。
むかし機関車になったお方に、三島由紀夫がいます。

「彼女はお風呂の中で私に汽缶車ごつこをやらせて、大よろこびをしたのである。つまり私は水を蹴立てて、痩せた汽缶車になる。シュッシュッ、ポッポッ、次は小田原と私が叫ぶ。大阪までゆくと汽缶車は疲れ果てて、湯気に当てられてしまつた。」

三島由紀夫が昭和二十六年に発表した随筆、『高原のホテル』に、そのように書いています。
三島由紀夫は執筆のために、「高原のホテル」に。そこで偶然、大学教授一家の避暑に出会って。たまたま、教授夫人が三島由紀夫のお母さんの友人。
上のお嬢さんは、十七歳。お嬢さんは風呂で三島由紀夫に、「汽車ポッポになって」。ご命令には逆らえずに。

機関車が出てくる随筆に、『根岸庵を訪う記』があります。明治三十二年に、寺田寅彦が発表した文章。
「根岸庵」はもちろん、正岡子規の住まい。夏目漱石に紹介された寺田寅彦が、はじめて
子規を訪ねた時の話。

「……………機関車がすさまじい音をして小家の向こうを出て来た。……………。」

これで寺田寅彦は気が変って、浅草のつもりが京橋へ行った。そんな内容になっています。
寺田寅彦は、本郷四丁目にも。明治四十一年十二月三十一日に。

「………………辻に立った巡査が肩章をそびやかして寒そうに見送った。」

明治四十二年『ホトトギス』一月号に書いた『まじょりか皿』という随筆にそのように出ています。

明治四十一年頃の警官、その制服には立派な肩章があったものと思われます。
肩章は、「エポレット」。フランス語なら、「ギャロン」 g al on でしょうか。
「ギャロナール」g al onn ar は、「士官」の意味にもなるんだとか。
「ギャロニエ」は、「肩章師」のこと。
「ギャロナージ」g al onn ag e は、ブレードなどの端を始末する技のこと。
どなたかギャロンの映える上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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