風呂吹とフロック

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風呂吹は、大根のことですよね。風呂吹大根。でも、風呂吹大根とまで言わなくても、
ただ風呂吹だけで充分通じます。
大根を厚く筒切りにして、とろりとろりと火にかけて。気長に待ちますと、風呂吹の出来あがり。風呂吹にぬる燗の酒がありますと……………。
でも、どうして風呂吹が風呂吹なのか。

「ある人が大根のゆで汁を風呂に吹くとよいと教えた。」

本山荻舟著『飲食事典』には、そのように出ています。
これは塗師の話。冬になると、漆が乾きにくい。ところが、大根の煮汁を干場で、漆に吹きかけると、乾きが早いと教えられて。
つまり塗師は大根の煮汁が入り用で、煮た大根は要らない。そこで近所に配った。それで、
「風呂吹」の名前が。ここでの「風呂」は、漆の干場の意味だったわけですね。

けふも又 同し料理を せんとうの ふろ吹き大こん いつもあかなき

延享二年頃の、狂歌『置みやげ』にも、そのように出ています。延享二年は、西暦の
1734年のことですから、風呂吹もずいぶんと昔からあったものと思われます。

風呂吹きや 頭の丸き 影二つ

夏目漱石の句にそんなのがあるんだそうです。
これは昭和四十年に、富沢珪堂が『図書』に書いた『“風呂吹きや頭の丸き影二つ”』に出てくるのですが。
富沢珪堂堂は、昭和四年から鎌倉「円覚寺」の住職を勤めた人物。
大正五年の時。富沢珪堂は神戸で、雲水を。その時、富沢珪堂は名古屋に行くことに。
「名古屋まで行くなら東京にも」。そうは考えたものの泊まる所もなくて。見も知らずの
夏目漱石に手紙を書いて。
富沢珪堂は一週間、牛込の漱石宅に世話なったという。その後、漱石から短冊が届いて。
風呂吹きや 頭の丸き 影二つ
この句が書かれていたんだそうです。

風呂吹の 一切づつも 一句かな

内藤鳴雪の句にもそんなのがあります。

「……………内藤鳴雪を造つたのは子規子である……………」。

内藤鳴雪自身はそのように考えていたそうです。年齢は子規に二十一歳上。でも、俳句については、子規の弟子。子規を「先生」と呼んで。
鳴雪は松山の出身。子規のはるか先輩。子規は子規で、鳴雪を「先生」と敬愛したという。
『鳴雪自叙伝』を読んでいますと。

「各地方長官さえも、モーニングコート、背広など勝手に着ていて、フロックコートを着ている者は稀であった。」

鳴雪は明治期を振り返って、そのように記しています。当時の県知事なども、多くはモーニング・コートで、フロック・コートは少数だったことが窺える内容でしょう。
どなたか明治のフロックを再現して頂けませんでしょうか。

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