スープは、西洋吸物のことですよね。むかしの西洋料理はたいていスープからはじまったものです。
今は前菜からはじまることが多いようですが。つまりスープが省略されるのも珍しくはないらしい。
現在は多く「スープ」と言います。以前は、「ソップ」とも。
「三四郎はソツプを吸ひながら、丸で兵児帯結目の様だと考へた。」
夏目漱石が、明治四十一年に発表した『三四郎』には、そのように出ています。
「丸で兵児帯の様だ」とは何のことなのか。
ボヘミアン・タイのことを。
「輿次郎が、佛蘭西の畫工は、みんなあゝ云ふ襟飾を着けるものだと教へて呉れた。」
漱石は「畫工」とかいて、「アーチスト」のルビをふっているのですが。
漱石は自分のことを「アーチスト」と思わなかったのか、ボヘミアン・タイを愛用してはいません。一方、ボヘミアン・タイがお好きだったのが、若き日の永井荷風であります。
「スープの食ひ方」について講演したお方に、河津祐之がいます。
この話は、池内 紀著『開化小説集』に詳しく述べられているのですが。
明治七年のことであったという。場所は萬年橋の近く。ここに当時、「萬安」という料理屋があって。そこの離れで、河津祐之の講演会が。
「……………諸君、音をたててはならんのだ。只今より悪しき見本をお見せするが、このようにペチャペチャと音をなすは最悪、舌なめずりもよろしくない。……………。」
ざっとそんな話をしたんだそうですね。
河津祐之は、嘉永二年の生まれ。本名は、黒澤孫四郎。後に河津家の娘と結婚したので、
河津祐之。河津祐之は、語学の天才と謳われた人物。明治五年に、フランスに留学しています。
河津祐之は「服装」についても語っています。
「往来にて衣服を正しくするはよろしからず。故に衣服は家を出づる時十分に正しくすべし。」
えーと、スープの話でしたね。スープが出てくるミステリに、『フレンチ警部と漂う死体』があります。
「スープの出来栄えは申し分ないし、サラはプロの給仕顔負けの見事な手際で、そのスープを入れた皿を置いている。」
『フレンチ警部と漂う死体』は、1937年に、F・W・クロフツが発表した物語。この中に。
「伯父は着古したスモーキング・ジャケットを愛用していた。」
ここでの「伯父」は、富豪の、ウィリアム・キャリントンという設定になっています。
スモーキング・ジャケットは十九世紀後半の、英國の家庭着。もともとは喫煙室専用だったもの。
多くは鮮やかなビロード地などで、フロッグなどをあしらった普段着。たとえば書斎での
食後酒などには最適の服装だったものです。
スモーキング・ジャケットを脱いだら、寝衣に着替えてベッドに、だいたいそれが上流階級の習慣だったのであります。
どなたか現代版のスモーキング・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。