ミステリとミンク

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ミステリは、推理小説のことですよね。
もっとも「ミステリ」 my st ery はもともと「神秘」の意味があるそうですが。「神秘」の
ミステリとしては、1333年頃から用いられているらしいから、古い。

「……………凡ての物が一つになつて、渾然たるミステリーの靄の裡にに私を投げ込んで了つて居る。」

谷崎潤一郎が、明治四十四年に発表した『秘密』の一節にもそのように出ています。
『秘密』の中には「コナン・ドイル」の話も書かれています。谷崎潤一郎は明治期すでに、
コナン・ドイルの「ホームズ物」に目を通していたものと思われます。
谷崎潤一郎が大正十一年に書いた短篇に、『或る罪の動機』が。これはミステリ仕立てになっているのですが。
1886年に。コナン・ドイルが『緋色の研究』を発表する前、開業医だったのはよく知られているところでしょう。
一方、「アルセーヌ・ルパン」のモオリス・ルブランは、それ以前、純文学の作家でありました。
1907年『赤い拇指紋』を書いた、英國の、オースティン・フリーマンも外科医でした。
医者からミステリ作家というのも、珍しくはないようですね。
美術評論家から、ミステリ作家。アメリカのS・S・ヴァン・ダインのことであります。
探偵からミステリ作家になったのが、ダシール・ハメット。実際には「ピンカートン」を健康上の理由で辞めて。「サミュエルズ宝石店」の広告文案家からの転職ではあったのですが。
レイモンド・チャンドラーの前職は、石油会社の社長。
騎手からミステリ作家になったお方に、ディック・フランシス。1962年に『本命』を発表したディック・フランシスは、どうしても本人が書いたものとは信じてもらえなかったらしい。
フランスのミステリ作家。カトリーヌ・アルレーは、女優から作家に。1956年の
『わらの女』は有名でしょう。
1941年に、『ストリッパー殺人事件』を発表したのが、ジプシー・ローズ・リー。
ジプシー・ローズ・リーは、藝名。現役のストリッパーでありました。本名は、ローズ・ルイーズ・ホーヴィック。
以上はほんの一例ですが。いろんな経歴から、ミステリ作家が生まれています。これを逆さまから眺めますと。誰もがミステリ作家の資格あり、ということにもなるでしょう。
ファッション・デザイナーからミステリ作家なんてのもあって良いかも知れませんね。
ミステリを書いた文豪に、ロシアの、トルストイがいます。1909年に『殺害者はたれか』を発表しています。
ミステリの元祖は、ポオだと言われているように、文豪がミステリを書いても何の不思議のないのですが。
トルストイが1890年に書いた小説に、『クロイツェル・ソナタ』が。この中に。

「一見して商人らしく、アメリカ鼬の外套を着て、大きな目庇のついたラシャの帽子をかぶっていた」。

ここでの「アメリカ鼬」は、たぶんミンクのことかと思われます。この「商人」は、
ミンクのコートを羽織っていたのでしょう。
ミンクは防寒に最適の毛皮でもあります。また、ミンクからは上質の脂も。むろん
「ミンク・オイル」。靴などの手入れに不可欠であります。
どなたかミンクのコートを仕立てて頂けませんでしょうか。

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