ニュウヨークと錦

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ニュウヨークは、アメリカの都会ですよね。近代都市の象徴とも言えるでしょう。
今のニュウヨークのそもそものはじまりは、1621年のことと伝えられています。
そもそもネイティヴ・アメリカンの土地だったものを、入植のオランダ人が、「永代借地権」として買った。二十四ドルで。
後で酋長は言った。
「マンハタン!」。それは「おいらは酔っぱらっていた」の意味であったという。
「ニュウヨーク」の名前になったのは、1664年のこと。イギリスのニコラス大佐が、
「ニュウ・ヨーク」と。
1652年のニュウアムステルダムの人口、約1、000人だったと記録されています。

「紐育の最低賃金 ( 四志十一片 ) にても尚ほ日本の八倍、英國の同十倍以上……………。」

福澤諭吉が、明治二十六年に著した『實業論』には、そのように出ています。また、
『實業論』には、輸出入のことについても。

「……………近年羽二重、縮緬、手巾等の製造輸出は非常の額に上り、又その巧拙如何を問へば、西陣の織物には佛蘭西のゴブランを壓倒するものあり。」

ニュウヨークが出てくる小説に、『婦女の鑑』があります。明治二十二年に、木村 曙が発表した物語。

「茲に米國ニューヨークなる或る工業場の職人にて六十路の坂を二つ三つ……………。」

『婦女の鑑』は、古風な七五調の文体。それで、アメリカに絹糸を輸出する内容になっています。
この中に。

「……………軈て望みを為し遂げて忠孝全き者となり錦を飾りて還り來んに必らず思ひ過されな」

錦は、絢爛たる絹織物。中國、秦の時代にはじまったものと考えられています。
日本には、雄略天皇の時代に伝えられているとのこと。

「業遠の朝臣のかしづき、錦の唐衣、闇の夜にもものに紛れず、珍しう見ゆ。」

『紫式部日記』にも、そのように描かれています。
どなたか錦のチョッキを仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone