ホームズは、名探偵の名前ですよね。もちろん、シャーロック・ホームズであります。
シャーロック・ホームズの生みの親がコナン・ドイルであるのはいうまでもないでしょう。
作者のコナン・ドイルに興味を抱いていた人物に、カーがいます。やはりミステリ作家の、
ジョン・ディクスン・カー。
まあ、これは同業の先輩として当然のことでもあったでしょう。ジョン・ディクスン・カーは、1949年に『コナン・ドイル』を書いています。ということは、探偵のホームズよりも、作者の「コナン・ドイル」に関心があったと、考えてよいでしょうね。
「………その秋、新調のツイードの服をまとい、なめらかになでつけた頭髪にひさしの短く帽子をかぶったアーサーは、荷物を肩にして新しい世界へ乗り出したのである。」
少年の、アーサー・コナン・ドイルが、オーストリア、フェルトキルの寄宿校に行く時の様子を、カーはそんなふうに書いています。
コナン・ドイルは、スコットランド、エディンバラの生まれですから、トゥイードはごく当然の選択だったでしょう。
コナン・ドイルに限らず、郷土愛は誰にも共通するのでしょうね。ドイルは晩年に至るまで、ブローグを愛用したという。ブローグもまたスコットランド出身の靴だと考えられていますから。
ところで、「ホームズ」の名前は、アメリカの随筆家、オリヴァー・ウエンデル・ホームズに因んだいるとの節があります。少なくともドイルが、オリヴァー・ウエンデル・ホームズの愛読者だったことは、間違いないようです。
「………オリヴァ・ウエンデル・ホームズの墓を訪れ、大きな花環を捧げた……………………。」
ジョン・ディクスン・カーは、『コナン・ドイル』の中に、そのように書いています。
1914年。コナン・ドイルは一家で、アメリカ、ニュウヨークを訪れているのです。
また、1922年にも再度、ニュウヨークを。
1922年のコナン・ドイルの出立ちは、ダブルのラウンジ・スーツに、ボウラーをかぶっています。
1920年代のボウラーは、イギリスであろうとアメリカであろうと、「紳士」の象徴であったものです。貴族ではない紳士として。
貴族はシルク・ハットをかぶったからです。逆に申しますと、貴族はボウラーをかぶることがなかったのであります。分かりやすいと言えばこれくらい分かりやすい身分証明書も外にはなかったでしょう。
どなたか紳士に見えるボウラーを作って頂けませんでしょうか。