黙読とモスリン

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黙読は声に出さないで、眼だけで読むことですよね。
黙読の反対が、音読。口で、声に出して読むのが、音読。まあ、それぞれに良いところがあるのでしょう。
教会での聖書はたいてい音読であります。電車の中での週刊誌は必ず黙読でありましょう。
でも、自分の部屋でひとりでいる時などには、音読もよいのかも知れませんが。

「神戸は書物を開いて、出た所を二三行默讀した。」

明治四十二年に、森田草平が発表した『煤煙』に、そのような一節が出てきます。これは何の本なのか。オスカー・ワイルドの『サロメ』。うーん。たしかに黙読が向いているでしょうね。
ということは森田草平もまた、多くは黙読派だったのではでしょうか。

「破戒讀了。明治の小説としては後世に傳ふべき名篇なり。」

明治三十九年四月三日 火曜日の、夏目漱石の手紙。宛先は、森田米松。もちろん、森田草平の本名なのですが。
明治三十九年四月二日ころ。夏目漱石は、島崎藤村の『破戒』を読み終っています。激賞。
それで、漱石は森田草平に対して、藤村の『破戒』を、「藝苑」に書くよう勧めてもいます。森田草平は漱石の弟子ですから、素直に『破戒』の書評を書いているのです。
漱石に限ったことではありませんが、人の手紙を読むのは愉しいものですね。ただし今から120年ほど前の話ではありますが。

「僕フロツク・コートを五十四圓で新調したら、急に演舌がやつて見度なつた。」

明治三十九年十一月六日付の手紙に、そのように書いています。明治三十九年の五十四圓は、今の54万円くらいでしょうか。漱石は、「演舌」と書いているのですが。54万円で
演説がしたくなるなら、お安いものかも知れませんね。
たしか、読む話だった気がするのですが。
サルトルが、1964年に発表した自伝に、『言葉』があります。『言葉』は大きく二つの章に分かれていて、『読む』と、『書く』。自伝。もう少し正確に申しますと、サルトルの幼少期が中心になっているのです。サルトルは幼少期、何を読み、何を書いたのか。
まあ、それはともかくとして。こんな話も出てきます。

「青いムスリンのドレスを着て、髪の毛には星を、背中には翼をつけた私は、お客の間を飛び回り、籠のミカンを配ってまわった。」

これはサルトルが天使の役を演じた時の話なのですが。翻訳では、「ムスリン」となっています。が、私たちがふつうにいうところの、モスリンかと思われます。
フランスなら、「ムスリーヌ」m o uss el in e でしょうか。
もちろん英語の「モスリン」m usl inです。ただし英語のモスリンは、フランス語のムスリーヌから来ているのですが。
フランス語の「ムスリーヌ」は、1298年頃から。英語の「モスリン」は、1609年頃から。
メソポタミアの「モスール」M o s ul で織られた生地だったので、その名前が生まれたとのことです。
どなたかモスリンのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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