潮騒は、海の歌声ですよね。たしかにその通りでもあるのですが、小説の題でもあります。
三島由紀夫が、昭和二十九年に発表した物語。海辺の戀物語なので、『潮騒』はぴったりの題名でもあるでしょう。
純愛物語で、なおかつハッピーエンド。三島由紀夫にしては珍しいスロウ・カーヴでしょうか。私が好きという以前に、当時のベストセラー小説。また、同じ時期に英語に翻訳されて、英語版もまたベストセラーになっています。
『潮騒』は珍しいこと尽くしの小説とも言えるでしょう。
同じ年の映画『潮騒』も好評。原作者の三島由紀夫にとっても、好評。これまた、珍しい。原作者にとっての映画化は不評であることが少なくないからです。
もっとも三島由紀夫はあらかじめ映画化に伏線を張っていたのですが。
それは映画化のための脚本に、信頼できる作家の、中村真一郎を送り込んでいたことです。
監督は、谷口千吉。主演は、久保 明と青山京子。
「私は熱海に滞在してゐたから、八月八日の深夜、黛 敏郎氏が東京から乗つてゐる夜行列車に、熱海から同乗した。黛氏はこの映画の作曲を引受けてゐる。」
三島由紀夫は、昭和二十九年に、『「潮騒」ロケ随行記』という随筆に、そのように書いています。また、三島由紀夫はこの随筆の冒頭に。
「私は自作のロケーションといふものを見に行くのははじめてである。」
そうも書いているのですが。
三島由紀夫と黛 敏郎は、翌朝の八時四十五分に、鳥羽に。鳥羽では、まず宿に。この宿の名前が、「みしま」であったという。
鳥羽から、神島に向う船は、午前十一時三十分。折悪しく船は出たあと。みんなで「おーい」と叫ぶと。一日一便の連絡船は方向転換して戻ってきて。この時の様子を、三島由紀夫は。
「ここの船は機械ではなく、人情を解する。」
そんなふうに書いています。
三島由紀夫と黛 敏郎は、以前、取材で世話になった灯台守りにも、挨拶に。ちょうどその頃。神島の水は放射線に汚れているのではないか、との噂があって。
でも、灯台守りは茶を出してくれて。「さあ、どうぞ」。三島は喉が渇いていて。黛にそっと訊く。「飲んで大丈夫だろうか?」これに対する黛の答え。
「なに、少しなら平気でしょう!」
三島由紀夫の小説の愛読者だったひとりに、サガンがいます。フランスの女流作家、
フランソワーズ・サガン。
2004年9月4日。サガンが世を去った時。書棚には多くの三島由紀夫の小説が並んでいたという。
「イングリッドが、サガンのシャンダイユを貸してくれた。<エリック・ボンバール>ブランドのキャメルのセーター、Mサイズでゆったりしている。」
マリー=ドミニク・リエーヴル著『サガン』には、そのような一節が出てきます。
「シャンダイユ」ch and a il は、フランス語の大きな辞典には出ています。日本語の「スェーター」に相当する言葉。ただし、ふつうは、会話のための、やや特殊な言葉。
シャンダイユは、「マルシャン・ダイユ」m arch and d‘a il の省略形。
その昔、市場の「ニンニク売りのおばさん」が着ていたようなスェーターなので、
「シャンダイユ」と呼ばれるようになったんだそうですね。
どなたか現代版のシャンダイユを編んで頂けませんでしょうか。