カクテルは、混合酒のことですよね。なにかとなにかを混ぜて、ひとつの飲物を拵えることであります。
粋な男はたいてい、「マティーニ!」ということになっております。それもドライであるほどよろしいとの神話があるようですね。「ドライ・マティーニ」。でも、この上なくドライなマティーニは、ジンのストレイトということになるのではと、心配になってくるのですが。
マティーニがカクテルの王者であるのは、間違いないでしょう。が、カクテルには星の数ほどの種類があるのも、また事実であります。
「………女はコツクテールをと命じたが、自分はさう云ふ強い酒には堪えられぬ処から、更にビーヤの一碗を新しくして……………………。」
永井荷風が、明治三十九年七月に書いた『夜半の酒場』には、そのように出ています。
もちろん『あめりか物語』の一章として。時代背景は、明治三十六年の、ニュウヨーク。
荷風はニュウヨークでも、当時あったスラム街のバアにひとりで、入ってゆく。そこで、
街の女に声をかけられる場面なんですね。
永井荷風は『あめりか物語』の中で、「コツクテール」と書いています。明治三十六の
「コツクテール」は、わりあい早い例ではないでしょうか。
「實は私は甚だ下戸の方なので、時間つぶしに、女の飲むやうな甘いコクテルを拵えて貰つて……………………。」
大正十二年に、谷崎潤一郎が発表した『痴人の愛』に、そのような一節があります。
谷崎潤一郎は、「コクテル」と表記しているのですが。
谷崎潤一郎と、永井荷風が仲良しだったのは、有名な話でしょう。
ひとつの例ではありますが。昭和十九年三月四日に、谷崎潤一郎は、麻布の「偏奇館」を訪問しています。
昭和十九年は、戦争末期。空襲が珍しくはなかった時代に。この頃、谷崎潤一郎は、熱海に住んでいたのですが。
このことは、谷崎潤一郎の『疎開日記』に出ています。
「………予は和服にもんぺを穿き袖のみじかきコートを着て来たりしが……………………。」
谷崎潤一郎はその日の自分の服装を、そのように書いています。では、永井荷風の様子はどうだったのか。
「………永井氏も本日は糸織かハ端らしき縞物を着角帯をしめたる風情、若かりし頃の俤あり……………………。」
つまり、谷崎潤一郎の目から見て、自宅の荷風は粋な着こなしに映ったのでしょう。
谷崎潤一郎の『疎開日記』には、荷風の「断腸亭日乗」のことも出てきます。
「………日記は榛原製雁皮の罫引( 最近は紙質変りたる由) に実にていねいにそのまま版下なるやうに記してあり……………………。」
後に有名になる荷風の『日記』を、谷崎潤一郎はこのように形容しています。
カクテルが出てくる小説に、『かみそりの刃』があります。1944年に、モオムが発表した物語。
1944年は、昭和十九年のことで、谷崎潤一郎が荷風の「偏奇館」を訪問した時にあたっているのですが。
「そのうちにカクテルが運ばれて来た。二杯もやると、さすがにグレイも、だいぶ元気が出たようであった。」
サマセット・モオムの『かみそりの刃』の時代背景は、1920年代かと思われます。
『かみそりの刃』は私にとってのおしゃれの教科書なのです。たとえば。
「むしろもう一年間も毎日着つづけてでもいるような、妙な無造作さで着こなしていた。」
これは「ラリー」という人物の新調の服装について。
うーん、「無造作」が大切なんですね。
英語なら、「カジュアリイ」 c as u ally に近いのでしょうか。「さりげなさ」。自然に服装が空気でもあるかのような。
どなたか無造作に着たくなるような完璧なスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。