テゲトフとデッキ・シューズ

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テゲトフは、人の名前ですよね。なんでも、T eg ett off と書いて、「テゲトフ」と訓むんだそうですね。たとえば、オオストリアなどにも、「テゲトフ」の姓はあるらしいのですが。
ひとつの例として、ヴィルヘルム・フォン・テゲトフは、オオストリアの英雄であります。
ヴィルヘルム・フォン・テゲトフは、1827年12月23日に、オオストリアに生まれています。成長してからのテゲトフは、オオストリアの帝国海軍軍人となって活躍。1868年には、海軍軍部長となっています。
1867年に、アメリカ滞在中の、マキシミリアン皇帝が死去。その遺体を軍艦で引き取りに行ったのが、テゲトフだったのです。
1850年に、マキシミリアン大公から、手紙をもらった詩人が。グリルパルツァー。フランツ・グリルパルツァーは、オオストリアの偉大なる詩人。
マキシミリアン大公からの、グリルパルツァー宛ての手紙は、その詩を讃える内容で、一枚の月桂樹の葉が添えてあったという。
グリルパルツァーはすぐに、マキシミリアン大公宛て返事を認め、以降、交流が生まれたそうですが。
1818年に、フランツ・グリルパルツァーが書いた詩が、『サッフォー』。
グリルパルツァーの『サッフォー』を、エピグラフに置いた短篇に、『春子』があります。三島由紀夫が、昭和二十二に、『人間』に発表した物語。ただし物語の背景は、昭和十年代末の、戦争中に置かれているのですが。
それというのも当時の「ゲートル」の話が出てくるので。主人公の、十九歳の少年は、規則に反して、ゲートルを巻かずに外出することに、ささやかなダンディズムを感じているらしい。三島由紀夫の初期作品、『春子』の中に。

ああいいから、僕が探すから、と私はデッキ・シューズを穿いて庭に下りた。

仮に、昭和十八年頃の物語として。「デッキ・シューズ」がもうすでに、在ったんでしょうね。
少なくとも小説に描かれた「デッキ・シューズ」としては、かなりはやい例ではないでしょうか。
それはともかく。デッキ・シューズを履いて。グリルパルツァーの詩集を探しに行くとしましょうか。

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