西洋とセイラー・ジャケット

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西洋は、異国のことですよね。外国のことであります。もう少し限定いたしますと、ヨオロッパでしょうか。
たとえば、「洋菓子」と言います。和菓子があれば、洋菓子もあるわけです。今は洋菓子ですが、明治の頃には主に「西洋菓子」と言ったんだそうですね。西洋菓子を短くして、「洋菓子」。
これは洋食も洋服も同じこと。いきなり「洋食」と呼ばれたわけではなくて、西洋食を約めて、「洋食」。同じく西洋服から「洋服」が生まれたわけですね。
では、「西洋」の言葉はいったいいつ頃から用いられているのでしょうか。さあ。
正徳五年に、新井白石が『西洋紀聞』を完成させています。鎖国時代の日本に「西洋」事情を伝えて書物ですから、貴重でしょう。
正徳五年は、西暦の1715年のことですから、古い話であります。もっとも新井白石が完成させたものの、刊行は許されませんでした。水面下で密かに回し読みされたらしい。

「………其人、衣を制らずして、綿布を身に纏ひ、紅絹を頭に纏ふ。……………………。」

新井白石著『西洋紀聞』に、そのような一節が出てきます。これは今の
オランダの風俗について。新井白石は、「ヲヲランド」と書いているのですが。
「ヲヲランド」はほんの一例で、『西洋紀聞』は、ヨオロッパに関して、まことに詳しく書かれています。
新井白石はいったいどのようにして取材したのでしょうか。
これはイタリア人、シドッティから話を聞いての結果なのです。では、シドッティと新井白石はどのようにして知り合ったのか。
ジョバンニ・バッティスタ・シドッティは、宣教師。日本にキリスト教を広めるために密航して来たのでした。
宝永五年八月二十九日のことであります。この日、屋久島に着いています。シドッティは皆の反対を押し切っての、来日。そのための船まで造らせているのです。いや、そればかり、和装。着物を着て、二本差し。月代を剃って丁髷。
ここまではよかったのですが、地元の漁師に咎められて、言葉が出来なかった。これで怪しまれて、奉行所へ。
ここで少し急ぎ足に致しましょう。幕府の命令で、シドッティを取り調べたのが、新井白石だったのであります。
シドッティと新井白石。会話してみて、お互いの教養の深さを知って。取り調べというよりも、学問の場に。
こうして新井白石は『西洋紀聞』を著したのであります。

「西洋」が出てくる小説に、友田と松永の話』が。大正十五年に、谷崎潤一郎が発表した物語。

「………巴里に着いてから一年半ほど立つた頃には、精神的にも肉體的にも、全く『西洋』に同化してしまつた。」

これは「友田」の話として。
また、『友田と松永の話』には、こんな文章も出てきます。

「………友田のトムは、セイラー・ジャケットを着て、ピアノの脇のディヴァンに腰をかけながら……………………。」

谷崎潤一郎は、ここでは「セイラー・ジャケット」と書いています。なるほど。セイラー・パンツがあれば、「セイラー・ジャケット」もあるでしょう。
どなたか今日的なセイラー・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。

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