シルク・ハットは、絹帽のことですよね。
昔の日本では、「高帽」とも、「礼帽」とも呼ばれたんだそうですが。
英語ではシルク・ハットを、「トップ・ハット」とも言います。もちろんクラウンの高い帽子というわけです。
物事の順序から言いますと、まずトップ・ハットがあって、それからシルク・ハットが生まれたのですね。
十八世紀、トップ・ハットの時代には、ビーヴァーの毛皮を貼ったもの。それがトップ・ハットのために、ビーヴァーの乱獲。絶滅危惧種に。そこで致し方なく、絹のプラッシュ で代用したので、「シルク・ハット」となったものです。
では、シルク・ハットの日本語は、いつ頃から使われているのでしょうか。
「………土に根生ひのばらの花さへ、絹帽に挟まれたしと願ふならひを……………………。」
樋口一葉が、明治二十六年に発表した『暁月夜』の一節に、そのように書かれています。
一葉は、「絹帽」と書いて、「しるくはつと」のルビを添えているのです。
少なくとも明治の小説にあらわれた「しるくはつと」としては、比較的はやい例かと思われます。
明治二十八年。泉鏡花が発表した短篇に、『外科室』があるのは、ご存じの通り。この中にも。
「一個洋服の扮装にて煙突帽を戴きたる畜髯のおとこ前衛して……………………。」
そんな文章が出てきます。ここでの「煙突帽」はおそらく、シルク・ハットのことかと思われます。
このすぐ後の段落に。
「………丸髷でも、束髪でも、乃至しやぐまでも何でも可い。」
これは男二人が女の髪型を話している場面。
ここでの「しやぐま」は、ふつう「赤熊」と書いたものです。赤熊は「丸髷」に似ていなくもないのですが。後のたぼが大きく輪になった髪型を指します。
「………赭熊といふ名は恐ろしけれど、此髷を此頃の流行とて良家の令嬢も遊ばさるるぞかし……………………。l
明治二十八年に、樋口一葉が発表した『たけくらべ』の一節にも「赭熊」が出てきます。
一葉は、「赭熊」と書いて、「しゃぐま」と訓ませているのですが。
「赤熊」、「赭熊」は、もともと赤い毛を指したので「しゃぐま」。
有名な歌舞伎の演し物に『連獅子』があります。長く、赤い髪を振り揺らす場面。あれこそ本来の「赤熊」なのです。さらに古くは武士の軍装。兜の上に赤く、長い毛を飾ったのであります。
なお、白や黒に染めることもあって。それぞれ「はぐま」、「こぐま」と称したものです。
「しゃぐま」、「はぐま」、「こぐま」の材料はいづれもヤクの毛だったのであります。もう少し正確には、ヤクの尻尾の毛。
「………ヤクの毛(?) で作ったフェルトのような上着を着て……………………。」
今井通子著『私のヒマラヤ』にも、ヤクが出てきます。チヴェットなどではヤクは珍しい動物ではありません。人々の生活に密着した動物なのです。
ヤクは大型の牛の一種。もともとは標高5,000m級を好む高山動物であります。高山動物ということは、ヴァイキューナに似て繊維が細いのでしょう。
どなたかヤクの繊維でスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。