ハイヤーは、上等タクシーのことですよね。
「ハイヤー」h ir e はもともと「雇う」の意味なんだそうです。「お雇いタクシー」の意味だったのでしょうか。
タクシーはふつう、「拾う」。これに対してのハイヤーは、「註文」。あらかじめお願いしておいて、迎えに来てもらう。また、用事が終わるまで待ってもくれて。そして用事が終わったなら、また自宅に帰って頂くとか。まことに重宝な交通機関でありましょう。
ハイヤーはいつの頃からあったのか。さあ。少なくとも昭和のはじめにはあったらしい。
「ええ、承知いたし。ハイヤーのやうに、致すんでせう」
昭和六年に、直木三十五が発表した『青春行状記』に、そのような一節が出てきます。
これは、「鳩子」がタクシーに乗ろうとして。その運転手の科白として。
ということは、昭和五年頃には、タクシーもありハイヤーもあったと考えてよいでしょう。
直木三十五はあの直木三十五賞の「直木」。菊池 寛と親友だったので。菊池 寛によって「直木三十五賞」が設けられたのです。
直木三十五は、筆名。本名は、植村宗一。「植」という字を分解して、「直木」と称したのです。それがたまたま三十一歳の頃だったので、「直木三十一」を名乗って。それから毎年、「三十二」、「三十三」と変えていって。「三十五」になった時、「もう、そろそろそのあたりで………」と諭されて、以来「直木三十五」で通したという。
「そのとき何處からともなく、ハイヤーの滑つて来る轟がして、表通りで停つたらしい。」
岡本かの子が、昭和十一年に発表した『渾沌未分』にもハイヤーが出てきます。
直木三十五の『青春行状記』には、銀座の「資生堂」でアイスクリイムを食べる場面が出てきます。一方、岡本かの子の『渾沌未分』には、「風月堂」の話が出てきます。いずれもハイヤーで行くにふさわしい店だったのでしょう。
ハイヤーが出てくる小説に、『廢園』があります。原田康子が、昭和三十三年に書いた物語。
「電話ボックスの付近にハイヤー会社のガレージがあった。そこでわたしは車を頼んだ。」
原田康子の『廢園』を読んでおりますと。
「呼び声に振りむくと、バーバリーのコートを羽織った京太が木柵に両手をかけていた。」
京太は、「わたし」の戀人ともいえる存在。
「バーバリー」B urb err は、英国のトオマス・バーバリーからはじまっています。トオマス・バーバリーはもともとハンプシャー州の生地屋だったのです。
1880年代に、ゴムを使わない防水地を考案したのが、はじまり。バーバリーのコートは有名でしょう。
どなたかコットン・ギャバディンで、スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。