パリとバスク・ベレエ

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パリは、フランスの都ですよね。昔、『巴里祭』という映画があったことは、ご記憶でしょう。また、『パリの。『パリの空の下オムレツの匂いは流れる』という題名の美食本があることも。著者は、シャンソン歌手の石井好子。石井好子に『パリの空の下オムレツの匂いは流れる』を書くよう薦めたのが、花森安治。カットや装丁を手がけたのも、花森安治でありました。
パリに生まれたミステリ作家に、ガストン・ルルーがいます。
ガストン・ルルーは、1868年5月6日。パリのフォーフル・サンマルタンに於いて、誕生。
ガストン・ルルーが1910年に、発表した『オペラ座の怪人』は、名作であり、傑作だと考えられています。

日本でも早くから、ガストン・ルルーは注目されていたようで。
昭和十二年に、久生十蘭は、『ルルタビーユ第一』の日本語訳を出しています。もちろん原作は、ガストン・ルルー。

「身には粗織羅紗の格子柄の服を纏ひ………」

これはとある少年の着こなしとして。ガストン・ルルーの物語を読んでおりますと、時折、服装の話が出てきます。なぜなのか。ガストン・ルルーの実家が用品店だったので。
それほど単純ではなかったでしょうが。ガストン・ルルーのお父さんが用品店を営んでいたのは、事実です。

「長い顎ひげは真っ白で、白髪の上にバスク風のベレ帽を乗せ………」

これは「ジャック爺さん」の姿。たぶん、バスク・ベレエをかぶっているのでしょう。
主にバスク地方でのベレエなので、「バスク・ベレエ」。もうひとつのブレトン・ベレエに較べて、やや小ぶりのベレエのことです。百人いれば、百通りのかぶり方があるのも、バスク・ベレエ。
どなたか純白のバスク・ベレエを作って頂けませんでしょうか。

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