プラットフォームとプラチナ

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プラットフォームは、乗場での台のことですよね。platform と書いて「プラットフォーム」。でも、「プラットホーム」ということも少なくありませんが。
プラットフォームもまたおしゃれ語と無関係ではありません。「プラットフォーム・ヒール」という表現があります。
これはソールとヒールとの一体型の靴の踵のことです。女の人のカジュアルな靴によくプラットフォーム・ヒールが見られるものです。
プラットフォームが出てくる明治の小説、『金色夜叉』があります。明治三十一年に、尾崎紅葉が発表した物語。

「………それから切符を切つて歩場へ入るまで見えなかつたのじやが………」

これは当時の横濱でも光景として。尾崎紅葉は、「歩場」と書いて、「プラトフオーム」のルビをふっているのですが。

プラットフォームが出てくる自伝に、『小川未明』があります。

「………大勢の群衆に揉まれながらプラットホームから広小路の方へ出て行った。」

小川未明は、『自伝』の中にそのように書いています。
これは明治三十四年四月の、上野駅でのこと。小川未明、十九歳の時。
小川未明は、明治十五年、新潟の高田に生まれています。それで、十九の時に東京へ。すぐに「東京専門学校」に入学。東京専門学校が、「早稲田大学」となるのは、明治三十五年のことです。
早稲田大学で小川未明が熱心に聞いた講義に、小泉八雲があったらしい。小川未明は小泉八雲の授業から、文学を目指すことになったらしい。
小川未明が習作を書いて、やはり早稲田の先生の尾崎紅葉に見てもらうと、たいそうお褒め頂いた。「小川未明」の号名をもらったのも、この時。
尾崎紅葉としては、「小川未明」を、「びめい」と訓んで。もちろん小川未明自身も、「びめい」のつもり。それがだんだんと有名になるに従って、「みめい」と呼ばれるようになったんだそうですね。
小川未明の弟子だったのが、坪田譲治。その頃、神楽坂に、「ヤマニバー」というのがあって。よくそこで飲んだという。その時の小川未明の口癖が。
「坪田君、次行こう」。
小川未明ははしご酒がお好きだったらしい。

小川未明の童話に、『小さい針の音』があります。この中に。

「………最新流行ふうの洋服を着て、プラチナの時計のくさりが、ガラス窓からはいる、灰色の空の光線に鈍い光を反射していました。」

これは若い学校の先生の着こなしとして。
ここでの「小さい針の音」とは、懐中時計の音のことなんですね。
どなたかプラチナの懐中時計を作って頂けませんでしょうか。

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