ヴォージュ広場とヴェストン・ノワール

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ヴォージュ広場は、パリにある場所のことですよね。フランスふうに申しまと、「プラス・ド・ヴォージュ」でしょうか。
「ヴォージュ」はもともとフランス北東部にある地名から来ているんだとか。1800年に、このヴォージュの人たちが、先んじて税金を納めたので、「ヴォージュ広場」と命名されたという説があります。
ヴォージュ広場はパリの三区と四区との間にあって、昔の高級住宅地。とにかくかのリシュリュウの屋敷があったそうですからね。
一時期、ヴィクトル・ユゴーや、テオフィル・ゴオティエなども、ヴォージュ広場に住んだことがあるとのことです。

ヴォージュ広場が出てくる随筆に、『パリの古本屋』があります。1980年に、河盛好蔵が発表したエッセイ。

「………ヴォージュ広場にカルナヴァレットという、私向きの本屋のあることを教えられた。」

「私向きの」とは、その頃河盛好蔵が研究していたベル・エポック期の資料豊富な店ということなのでしょう。教えてくれたのは、蘆原英了。河盛好蔵がすぐに出かけたのは、言うまでもないでしょう。

「このキャバレーでは、ブリュアンが、入って来る客をくそみそに罵倒し、先客たちがそれに倣って………」

河盛好蔵の随筆には、そんな話も出てきます。これは、ベル・エポック期に人気のあったキャバレエ「ル・ミルリトン」について。この店の常連客が、ロオトレックだったのです。英国皇太子もよくお忍びで通った店でもあります。
アリステッド・ブリュアンは皇太子様をも罵倒したのでしょうか。

河盛好蔵がパリに留学したのは、昭和三年、二十七歳の時。パリに着いた、河盛好蔵は、フランス語の家庭教師を見つける。

「黒い上着に縞ズボンという正装で、校長の命令でやって来ましたと言った。」

家庭教師、ジャン・ボーフレにはじめて会った印象を、そのように記しています。
「黒い上着に縞ズボン」。フランスなら、「ヴェストン・ノワール」veston noir でしょうか。正装は、いつの時代にもいいものですね。
どなたか正装になるヴェストン・ノワールを仕立てて頂けませんでしょうか。

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