ガブリエルは、フランス人の名前にもありますよね。ガブリエル・ココ・シャネルだとか。シャネルは1920年代に、ジャージーのドレスで革命を起こしたデザイナーであること、いうまでもないでしょう。
フランスの音楽家で、ガブリエルといえば。ガブリエル・フォーレでしょうか。
ガブリエル・フォーレは、1845年5月12日、午前四時にパミエで生まれています。ガブリエルは、おじいさんの名前だったそうですね。
お父さんのトゥッサン・フォーレは、お堅いお役人だったと伝えられています。少ないともフォーレの家系は音楽家ではなかったのです。
ガブリエル・フォーレは八つの時にはピアノが巧みだった。
ある日、盲目の老婆がトゥッサン・フォーレを訪ねて、言った。
「あの子には、音楽の天分があります。」
そこからだんだんと音楽への道を進むことになったんだそうです。
フォーレのはじめての作曲は、1862年頃。音楽学校の生徒だったとき。ここではサン・サーンスの指導をも受けています。
「………私の初めての歌曲は、料理の匂いが漂う音楽学校の食堂で書き上げられました………」
ジャン=ミシェル・ネクトゥ著『評伝フォーレ』には、そのようなフォーレの言葉が出てきます。
1890年頃。巴里に新しく「音楽ホール」が誕生。富豪のヴィナレッタが後援者となって。その時、フォーレに作況の依頼が。作曲料、25000フラン。これは当時のフォーレの給料の100倍に相当したんだそうですね。
フォーレの教えを受けた一人に、モオリス・ラヴェルがいます。その授業内容は、どんなふうだったのか。
教室にフォーレが入って来ると、沈思黙考。やがて、いう。
「ラヴェル君、君の『水の戯れ』を我われに演奏してくれたまえ。」
ラヴェルの演奏が終わると、フォーレは手放しで、絶賛。その日の授業は、それでおしまいになったそうですが。
1923年8月25日。アネシ=ル=ヴューの教会で、フォーレの演奏会がありました。その教会を出てくるフォーレの頭には、カノティエが載っていたのです。
これは一つの例で、フォーレは夏にはカノティエを好んでかぶったらしい。
どなたか1920年代のフォーレふうカノティエを再現して頂けませんでしょうか。