ヴェネチアとヴェルール

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ヴェネチアは、ヴェニスのことですよね。その昔、ヴェニスの町を歩いていて、ヴェネチアン・グラスのカフ・リンクスを見つけた想い出があります。今でもどこか引出しの奥で眠っているはずですが。
大正十五年に、ヴェネチアを旅したお方に、斎藤茂吉がいます。その時の紀行文は、『ヴェネチア雑記』に収められています。

「ところがそのそばに蝸牛の子を山程積んで売っていた。」

ある日、斎藤茂吉がヴェネチアの町を歩いていると、市場があって、いろんな魚が並んでいて。その脇に、蝸牛も。
斎藤茂吉は、市場の青年に、「これは何ですか?」と問う。青年は、斎藤茂吉が差し出した手帖に、「Bovali
」と書いてくれたそうです。ヴェネチア方言でもあったのでしょうか。
ヴェネチアの蝸牛、どんなふうにして食べるのでしょうか。やはりニンニクを効かせて頂くのでしょう。

昭和三十一年に、ヴェネチアを旅した画家に、梅原龍三郎がいます。 梅原龍三郎の随筆『ローマからナポリへ』に、ヴェネチアの話も出てきます。

「このホテル・ダニエリが自分のために四階の一隅にテラスのついている一室を用意してくれたことは、すこぶるこの印象を良くした。」

「ダニエリ」はヴェネチア最高のホテル。梅原龍三郎が感動するくらいの豪華ホテルなのですね。

ヴェネチアが出てくる小説に、『あら皮』があります。1831年に、フランスの作家、オノレ・ド・バルザックが書いた物語。

「バビロニア、チルス、カルタゴ、あるいはヴェネチアといった、通りすぎる巨人の足でいつも踏みつぶされる蟻塚のような都市が………」

これは「エミール」の語りの一部分として。
また、『あら皮』には、こんな描写も出てきます。

「赤いビロードのドレスをまとった彼女は………」

これは「アリキナ」という女性の着こなしとして。
「ビロード」。フランスなら、「ヴェルール」velours
でしょうか。その昔、ヴェルールはヴェネチアではじまったとの説があります。
どなたか赤いヴェルールで上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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