ペンキとベレエ

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ペンキは、ペイントのことですよね。でも、なぜ、今の時代でも「ペンキ」と「ペイント」がほぼ同じように使われているのか。
「ペンキ塗りたて」とも書き、「ペイント仕上げ」とも言うのか。
ペンキはオランダ語から出ているとの節があります。オランダ語の「ペク」pek から生まれたんだそうですね。つまり、幕末語なのでしょう。
ペンキの幅も広くて。たとえば、風呂屋の富士山。あれもまたペンキ絵のひとつではないでしょうか。
ペンキが出てくる小説に、『あきらめ』があります。田村俊子が、明治四十四年に発表した物語。

「ペンキ屋ですか。」
半田はまだ其れを驚いてゐる。

田村俊子の『あきらめ』には、そんな一節が出てきます。
これは「三輪」という女優志願の娘について。三輪は一方で、看板を描いているので。
少なくとも明治の時代には、ペイントよりも「ペンキ」の方が一般的に用いられていたことが窺えるに違いありません。
田村俊子は作家になる前、女優でありましたから、女優を描くのは、お手のものだったでしょう。とにかく田村俊子は作家としては、美人中の美人でしたね。もちろん写真で拝見するばかりですが。
田村俊子の『あきらめ』を読んでおりますと。

「横手の電話室で、セルの袴を穿いた主人の朝菅が皺枯れた聲を上釣らして」

そんな文章も出てきます。ここでの「セル」が、もともとはサージのことであったのは、ご存じの通り。サージがセルジになり、セルジをセル地と解釈して、「地」を省略したのが、「セル」なのです。

ペンキが出てくる随筆に、『看板』があります。昭和四十六年に、井伏鱒二が発表したエッセイ。

「どこに行つてもペンキ塗の看板や立看板が多い。」

当時、井伏鱒二は福井に行って、ペンキ塗の看板が少ないことを発見した。そんなことも書いています。

井伏鱒二が、昭和三十三年に発表した小説に、『木靴の山』があります。これは具体的に「木靴」にふれている貴重な物語でもあるのですが。

「加木山はズボンのポケットから取出したベレー帽をかぶり」

そんな一節も出てきます。加木山二郎は、大学生という設定になっているのですが。

井伏鱒二ご本人も、いわゆるハンティング・ベレエを愛用していたそうですね。釣りなどの折に。
どなたかハンティング・ベレエを作って頂けませんでしょうか。

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