アレクサンドルとアンクロワーヤブル

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アレクサンドルは、男の子の名前にもありますよね。
Alexandre と書いて、「アレクサンドル」と訓みます。
たとえば、アレクサンドル・デュマ。でも、アレクサンドル・デュマは、ふたりいますからややこしい。お二人とも、フランスの作家。お父さんと、その息子。
あまりに紛らわしいので、ペエルとフィスとして区別することになっています。
アレクサンドル・デュマ・ペエルと、アレクサンドル・デュマ・フィスと。
お父さんのほうのアレクサンドル・デュマは、『三銃士』が代表作です。
息子のアレクサンドル・デュマは、『椿姫』で識られる作家なのです。親子ともに作家。なにかと難しい関係だったろうと思われるのですが、意外にもとても仲良しだったという。

息子のアレクサンドル・デュマは、最初、詩人として出発しています。でも、多くの詩はほとんど評価されることがありませんでした。そこで、アレクサンドル・デュマは、悟る。
「やはり自分のことを素直に書くしかない」と。
その結果、書きあげた小説が『椿姫』だったのです。『椿姫』はもとより創作ですが、自らの体験が元になっているのは、言うまでもありません。

「数分の後、私は並木道をぶらぶら歩き廻りながら、その料理店の大きな別室の欄干に凭れて、花束の一つ一つ毟っているマルグリットの姿を見ました。」

アレクサンドル・デュマの『椿姫』には、そんな一節が出てきます。こんなふうにして主人公は、「マルグリット」に出会うわけですね。
この「マルグリット」にはもちろんモデルがありました。アルフォンジーヌ・マリイ・デュプレシス。偶然にも、デュマと同じく、1824年の生まれ。
そして、1847年に、二十三歳で世を去っています。胸の病で。
アレクサンドル・デュマは、このアルフォンジーヌの死去を、旅先のマルセイユで聞いて、すぐに巴里に戻っているのですが。
1846年には、アレクサンドル・デュマ・ペエルと一緒に、アルジェリアを旅していたのです。その頃、フランス政府は、アルジェリアを傘下においたので、その新しい領土をデュマに書いてもらおうと思っていたので。
この時、フランス政府からの旅費、当時の金額で一万フランだったそうです。もちろん天文学的な数字であったでしょう。
このデュマのアルジェリア旅行の少し前。巴里の街では奇装族が登場していたのです。たとえば顔が隠れてしまうほどのハイ・カラアに大袈裟な巻き方のクラヴァットだとか。
「アンクロワーヤブル」incroyable
は、「信じられない」の意味。これは彼らの口癖にはじまった言葉。何を見ても「信じられない」を連発したので。もっとも彼らの服装もまた、「信じられない」ものだったのですが。
服装には大きく分けてふたつあります。目立つ服と目立たない服と。私自身は目立たない服が好きです。が、服飾史を眺める限り、いつの時代にも「奇装族」の存在があったようですが。

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