フロリダとフロック・コート

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フロリダは、常夏の国ですよね。とにかくマイアミがある州ですから。
フロリダと題につく小説に、『フロリダに帰る』があります。昭和四十一年に、開高
健が発表した短篇。フロリダ州出身の若いアメリカ兵が登場するので、『フロリダに帰る』になっています。

「ひとまずフロリダに帰る。それからカリフォーニアへいくかもしれない。大学へ入って勉強しようかと思っているんだよ。」

また『フロリダに帰る』には、こんな話も出てきます。

「スコッチ、コニャック、ラム、ウオッカなどの空瓶を針金で軒につるしてにぎやかにしたい。」

これは「ナベちゃん」という男のアイディア。屋台バアをはじめたいので、協力をしてくれないか、と。
屋台バア。もし実現したなら、のぞいてみたいものですが。

昭和五十二年に、フロリダを旅したお方に、阿川弘之がいます。その時の紀行文は、『降誕祭フロリダ阿房列車』に、詳しく書かれています。

「窓外の景色がようやくフロリダらしくなって来た。赤い花が咲いている。パパイヤの木が見える。緑したたる何とも美しい小都市の駅を通過する。」

阿川弘之はそんなふうに書いています。

明治二十三年に、フロリダを訪れた偉人に、南方熊楠がいます。
1890年、南方熊楠が二十四歳の時のこと。

明治二十三年、予、フロリダにありて、ピソフォラという藻を見出だす。

『熊楠日記』に、そのように出ています。

少し話は飛ぶのですが。南方熊楠は、昭和四年六月一日に。昭和天皇に御進講を行っています。もちろん、フロック・コートの正装で。このフロック・コートはどのようにして手に入れたのか。

「三好太郎氏の二年計り用い古しのフロックコートを貰えり。」

明治二十二年の『熊楠日記』に、そのように書いてあります。
「三好太郎」は、フロリダで、同じ部屋の住人だった人物。それは1889年のことで。南方熊楠はそのフロック・コートを大切にしていたのでしょうね。

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