遠出とトートバッグ

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遠出は、遠い所まで出かけることですよね。遠い所まで出かけるから、遠出。でも何キロ以上が遠出なのか。さあ。
遠出もまた、人それぞれの想いによって異なってくるのでしょう。家を出て、角を曲がった所にある蕎麦屋に行くのも、遠出と感じる場合があるのかも知れません。
また、スイスの山奥に行くのが「遠出」だと想う人もいるでしょう。
結局は当の本人の心の持ち方にかかっているのでしょうね。だから単純に何キロとは決めつけられないのかも知れませんね。

「取材の目的と予定を説明し、市郊外への遠出と撮影の許可を申請しておくためである。」

五木寛之が、1966年に発表した小説『蒼ざめた馬を見よ』に、そんな一節が出てきます。
ここでの背景は、レニングラード。レニングラードからさらに郊外に向うわけですから、充分に遠出だと言えるでしょう。物語の主人公は、鷹野隆介という設定になっています。鷹野隆介と、著者の五木寛之とは重なり合う部分があるように思われるのですが。
1960年代の海外旅行。それも記者としての取材旅行。どんな服装、どんな鞄だったのでしょうか。

「ハンガリアン・スープとキエフ風オムレツ、アストリアの特製のサラダとジャム入り紅茶で朝食をすませ、部屋にもどった時は十時を過ぎていた。」

そんなふうにも書いています。「アストリア風オムレツ」とは、泊まったホテルが、アストリア・ホテルなので。

「外出するといつもへとへとだ。理由はよくわかっている。かばんが重いからだ。」

1914年に発表された、藤野可織の随筆『かばん』には、そのように書いています。

「分厚いコットン製で筋金入りの頑丈さを誇るトートバッグは、その重みのある分厚さが仇となり、あんまり持たなくなった。」

そうも書いています。
トートバッグtote bag はその昔、野外での薪運び用だったとも言われています。日本でも以前、夏場に氷を大きな袋で運んでいるのを見たことがあります。
鞄が重たくなった。たしかにそれもあるのでしょう。そしてもうひとつには、人間がひ弱になっているのかも知れません。いや、ひ弱というよりも、ズル賢くなっているのではないか。底に滑車の付いた小さい鞄を見たりすると、つい、そんなふうにも思えてくるのですが。
どなた分厚いトートバッグを作って頂けませんでしょう。誰かそのトートバッグを運んでくれるお方を探しますから。

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