バッハとバックスキン

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バッハは、偉大なる作曲家ですよね。Bach と書いて「バッハ」と訓みます。もちろん、ヨハン・セバスティアン・バッハのことであります。
古今東西、バッハは多くの人々に愛されてきました。たとえば、野村胡堂だとか。野村胡堂が『銭形平次』の作者であることは言うまでもないでしょう。
野村胡堂には、「あらえびす」の筆名もあって、多くの音楽評論をも書いているのですね。これも一例ではありますが、『バッハからシューベルト』の本も出しています。この中に。

「私は気の鬱した時も、忙しい時も、喜ばしい時も腹の立つ時でさえもバッハを聴く。バッハは慈父のようなものだ。」

そんなふうに書いています。心からバッハの音楽を愛していたのでしょう。
また、詩人の清岡卓行には、『ひさしぶりのバッハ』があります。

少年の日から老年の日まで
聞き惚れたたくさんの
バッハの作品のなかに
それは秘められているにちがいないのだが

清岡卓行は、『ひさしぶりのバッハ』の中で、そんなふうに詠んでいます。

この世に「バッハ」の名前があらわれるのは、1580年頃のことなんだそうです。ドイツ中部の、「チュウリンゲン」に。因みにバッハには、「小川」の意味があったという。
1580年頃のチュウリンゲンに、ファイト・バッハという人物がいたらしい。このファイト・バッハこそ、後のヨハン・セバスティアン・バッハの「曾曾祖父」だった考えられています。
ファイト・バッハの本業は、パン屋。ファイト・バッハは小麦を粉に挽くところから自分でやった。この粉挽く間、ツィターを上手に奏でたんだそうですね。
このファイト・バッハの家系から少なくとも二十八人の優れた音楽家が誕生しているとのことです。

バッハが出てくる随筆に、『パイプのけむり』があります。音楽家、團 伊玖磨の名品。

「クルゾンはバッハのト短調の小フーガを弾き始めた。」

これは「バンブー・オルガン」を弾いているところ。金属のパイプの代わりに竹を組んだオルガンなのですが。

また、團 伊玖磨の『パイプのけむり』には、手袋の話も出てきます。

「………黒いバック・スキンの気に入った手袋の片方は何處にも無い。」

この團 伊玖磨のバックスキンの手袋は、以前、巴里の「ペラン」で買った逸品。「ペラン」は当時巴里一の、いや世界一の手袋屋でありました。
「バックスキン」buckskin
は本来「牡鹿の革」のこと。表には傷が多いので、裏面を使うことが多い素材なのです。バックスキンは伸縮性に富んでいて、手袋にも最適。
どなたか黒のバックスキンの手袋を作って頂けませんでしょうか。

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